過去日記
2025年6月29日(日)
月末で半年末
フミと申します。無職になって1815日。
ちょうど真ん中じゃないだろうけどだいたい一年の真ん中。今年も残すところあと半年。早いですねぇ。
今日のタグは食べ物かなぁ。
以前、都会に住んでた頃は近くにいろんなお店があって、定食屋さんとかファーストフード店とか、外食する選択肢が結構たくさんあったのですよ。
定食屋さんだと大戸屋さんとかやよい軒さんが好きでした。
お手頃価格でいい感じの和食が食べられるので愛用してましたが、今住んでるところにはどっちも無いのでもうここ数年食べてないような。
ファーストフードは、ミスタードーナツが好きで、前に住んでたところの最寄り駅に出来た時は小躍りして通い詰めたものです。
こんだけ通うならプリペイドカードを作ってもよかろうもん、と思って、10日や20日などの0のつく日にチャージするとちょっとお得になるような仕組みのミスタードーナツカードを使って夢のドーナツ生活を送っていた時期もありました。でもそれももう遠い過去のこと。
今住んでるところの最寄り駅は昔はミスドのお店があったのに数年前に消滅してしまったくらいで、駅前のミスドが消滅する程度には過疎っぽい雰囲気を醸し出している地域なのですが、その代わりなのかなんなのか、数か月に1度、駅前に出張販売があるんですね。
フツーの店舗のように自由に商品を選んで買うんじゃなくて、予め設定された5個セットとか10個セットを買う感じの出張販売なんですが、それでも来てくれるだけありがたい、という気持ちで見かけたときにふらっと買って帰ったりする感じで。
で、先日久しぶりにその出張販売を見かけたので久々に買ってみたのですが、いやー、お値段が随分高くなったなぁ、と。
以前は10個入りで1000円で売られていたんですが、4年位前から1200円に値上がりして、内容も9個に減ったりして、でもまあたまに食べるご褒美アイテムだし、と思っていたものの、今回は9個で1500円ですって。
お気軽お気楽に食べるのが憚られる感じでちょっとしょんぼり。
30年とか35年前、私がまだ小さかったころにはドーナツ1個70-80円とかの価格設定だったんだよなぁ。
マクドナルドのハンバーガーの最安値59円とかいうぶっ壊れた時代も経験してるので、そんな昔の物価の時代と今を比べてもしょーがないのは分かるんですが、それでもドーナツの単価が160円を超えちゃうようなのはなかなかどうして、気持ち的にしょんぼりしちゃうところがあります。
もうこれでしばらく買うことはないだろうなー、という気持ちと一緒にドーナツを噛みしめる、そんな2025年の初夏。
でもどれもこれもが値上がりばっかりかというとそうでもなくって、最近さ、キャベツのお値段がようやく落ち着いてきたと思いませんか。
一時期高級野菜に進化したように見えたキャベツも、いまや100円とか、場合によってはそれ以下まで戻って来てくれました。
上述のドーナツを買った際に近くの売り場で並んでたお野菜も見てきたのですが、でっかいナスが8個くらい詰まった袋が180円、キャベツも1個80円というお値段でした。
これは嬉しいお買い物。
キャベツはコンソメスープにしてもいいしサラダで食べてもいいし、野菜炒めもいいし、万能野菜。
一方ナスは最近は天ぷらにハマって今月だけでも何度か食べてましたが、今日はナスの揚げびたしにしてみました。
いやー、よくこういう料理を考えるものだ、と思いますよ。揚げびたし。
素揚げした後でめんつゆにつけるって発想がエライ。
いちご大福とかも、最初に考えた人エライよね。発想が豊か。
よくそれを組み合わせたね、っていう気持ち。
こういう先人に敬意を表して、私もたまに「そんな組み合わせある?」的な謎メニューに挑戦したりすることもあるんですよ。
たとえば、先日は「うどん+梅ジャム」というものにチャレンジしてみたり。
うどんに甘いトッピングはあまり合わないんだな、これが。
不味いって誰でも分かりそうなもんだけど、もしかするとおいしいかもしれない、という一縷の期待を込めてやってみて、やっぱりおいしくなかった、という残念な結果だけが残るお話。
でもさ、こういうトライアンドエラーの先に、とてもおいしい組み合わせが眠ってるかと思うと、ちょっとワクワクするよね、って気持ちでこれからも前向きに生きていこうと思います。
2025年6月25日(水)
追い込みモード
フミと申します。無職になって1811日。
エアコンを使おう。暑さで体調を悪くする前にエアコンを使いましょう。啓蒙。
今日のタグもゲームだよ。
でもその前に、前回と同じく食べ物の話から。
毎回同じじゃん、という向きもあるかもですが、いやまあ、毎日遊んでご飯食べて、みたいな同じ生活リズムの繰り返しなので、必然的にそうなってしまうというかなんというか。
でもまあ無職とはいえ、世界に対して呪詛を振りまいたり、暴力的になったり、逆に世を儚んだりしないだけまだマシというか、健康と言えるんじゃないでしょうか。
毎日楽しいよ。これって結構大事。
で、食べ物の話です。
ちょっと前にyoutubeで出会ったお料理系動画でやってたのですが、春巻きの皮を油で揚げずに、中にハムとかチーズをくるんでレンジでチンするというお手軽レシピをやってみました。
実際に試すまでは、
春巻きの皮ってレンジでチンするだけで食べれるもんなの?
って思ってたのですが、いざやってみると思いのほかおいしく食べることができました。
すんごいお手軽だし、中にくるむものをいろいろ変えてみるのもアリでは、と思うのですが、一つ問題というかやむなしなのが、春巻きの皮の枚数問題。
スーパーで買ってきたのは10枚入りのものだったのですが、確かにフツーに家庭で春巻きを作るとなれば、10本や20本作ることもあるのは分かります。
でも上述のレシピのものもせいぜい一度に2つくらいしか食べれないので、開封済みの春巻きの皮が結構余ってしまいまして。
一応冷蔵庫で保管してはいるものの、空気を遮断するのが難しめのサイズなので、次に使おうとしたら表面および周囲がかぴかぴになりがち。
ということで、あまり長期保存できないこともあって、昨日またも天ぷらを作った時に、合わせて消費しちゃいました。
春巻きとして中に餡を詰めることはなく、やはり手近にあったチーズとツナ缶をまいたので、おそらく春巻きの皮としては本望じゃなかったかもしれませんが、許してつかーさい。
なんか今月は異様に天ぷらがマイブームじみてましたが、頻度的にさすがに食べすぎな気もするので来月はちょっと控えようかな、と思いつつ、今日のお昼は昨日揚げた残りの天ぷらをひやむぎと一緒にいただく予定です。
ゲームしてご飯食べて、というアクションだけでなく、その食生活の中身まで日々そんなに変わり映えしないけど、私は元気です。
そしてゲームの話。
シーズン終了間際の追い込みフュージョンワールドの話。
今までずーっと人造人間17号を使い続けてたけど、せっかくシャロットとジブレットという2つのスターターデッキが登場した環境なので、このタイミングは物は試しということでジブレットデッキの試験走行をしてみました。
前回雑記を書いてから、この雑記を書くまでの二日間、かなりの時間をフュージョンワールドに割いてたような気がします。
まず23日の午後の段階では、引き続き17号を使い続けて6戦ほどこなして、レベルを81から83まで上がったのですが、その中でジブレットと2戦遭遇しまして。
片方は勝ってもう片方は負けたのですが、どうも思ってる以上にジブレットのゲームレンジが短期決戦寄りで、フツーに戦ってると人造人間のゆったりしたゲームレンジではなかなか勝てないんじゃなかろうか、と思いまして。
なら実際に自分で使ってみて確かめてみよう、ということでその後もにょもにょデッキをこねて、23日は一旦終了。
で翌24日の早朝、試作版ジブレットを使って2戦だけして、ちょっとずつ新カードの性質を勉強しながらデッキをいじってみたところ、一つの天啓がきまして。
ジブレット効果でエナジーが4になった後に、もし「作り出された満月」が場にあれば労せずエナジー5に復帰できて、次のターンのエナジーに置く分の手札を温存できるのでは!?
ということで、ジブレット(Giblet)と作り出された満月(artificial full moon)のデッキ、Gibmoonデッキを作ろう、と過去の緑ベジータのデッキ内容を探しつつ、相性のよさげなカードを選別すること小一時間。
で、一旦ゲーム内のデッキ構築画面で整理しようとしたら、ジブレットのリーダー効果の最後の部分に、ターン終了時までエナジー補充できないよ!って書かれてました。
解散、解散。
個人的に「大発見じゃん!」と思ってきゃっきゃしてた小一時間は幸せだったよ、ママン。
カードゲームの楽しみってこういうところにあるんですが、でもまあホントに強いアーキタイプだったらほかの人がさっさと実現してるハズなんだよなー。
それで満月入りのジブレットに遭遇してないってことは、まあそういうこと。
ルールというかテキストはちゃんと読まないとね。
今回はたまたま対戦する前に自分で気付けたからよかったけど、世の中で実際にオフラインで対戦しようとした場合に、こういう「ボクの考えた最強デッキ」のつもりで持ちもうものなら、対戦相手からの当然の指摘によりすんごいしょんぼりしちゃう悲劇が発生しそうなんだけど、どうなんだろう。
切ない。
気を取り直してデッキを組みなおして、午後のゲームな日付切り替えタイミングまでに5戦こなして、そのままレベル84に到達。
基本的に普段はフュージョンワールドは朝一で数戦プレイしておしまいにしてるのですが、今は追い込みの季節、午後も引き続きプレイして、24日の夜の時点でレベル86まで上げました。
怒涛の勢い。
で、今日も朝からプレイして、今これをお昼前に書いてるのですが、一旦レベル88まで上げました。
この勢いが続けば一応期限までに目標到達できそうではあるんですが、そこそこエネルギーを消費するというかなんというか。
格ゲーみたいに手が忙しい、という感じじゃないので、体力的にはいけるハズなんですが、思考の方がやや大変。
まだデッキに慣れてなくて練度が低いというのもありますが、人造人間に比べると回すのがちょっとだけ難しめのデッキだな、というのが今のところの印象です。
そして、自分で使ってみて感じるのは、ゲームレンジが異常に早いというか、すんごいアグロ気味なデッキで、同じ緑でもゆったりコントロール気質の人造とは真逆というかなんというか。
でもまあ、たまには違うデッキを使ってみるのも楽しいものです。
あれこれ試行錯誤しながらカードを選びながらトライアンドエラーを繰り返す感じ。
いいですわぞー。
オフライン版は今週末、デジタル版もおそらく来週末にはMANGA BOOSTER 01の登場による新環境に移るので、もしかすると今だけの輝きかもしれませんが、レベル100に到達するまではこのままジブレットデッキを試してみようと思います。
ということで、現状のデッキはこんな感じ。

旧Twitter現Xで「ジブレット デッキ」みたいに検索してみつけたデッキレシピを参考にしながら、実際に試してあーでもないこーでもないという調整の途中。
以下、個人的にジブレットデッキの気になるカードたち。
画像は公式のカードリストから拝借してます。

4コストターレス。
最初は3積みして臨んでたのですが、ダブストリーサルを仕掛けるには打点30kという数値が気になるところ。
おそらく、往年の力の大会悟空のリブリアンリーサルみたいな運用なんだろうな、と思うのですが、これ使うんだったら7悟空でよくない?
って気持ちに負けて最終的にデッキから抜けてしまいました。
コンボ値が5kというのも気になる気になる。

1コストラディッツ。
コンボ値が10kあって、基本的に腐らなさそうで、自傷能力もエナジー調整能力も優秀だとは思うのですが、1ターン目からこのラディッツを出して自傷していかないといけない場面って、全く殴ってこない黒シャロット相手くらいなんじゃなかろうか、と思ってなかなか採用に踏み切れてません。
自傷関連でいうと、3コストジブレットの2枚自傷が妙に強い気がします。
2-5サーチャーのザマスを使う都合上、あまり1コストのカード枚数を増やすのも難しいところではあるので、現状はキャントリップ悟空とザマスの2種類でいいか、と無難な感じになっちゃってます。
もしセルジュニアを使わなければラディッツも入りそうな気がちょっとするけど、セルジュニアはセルジュニアで相変わらずいい仕事をしてるように思えてて、なんだかなんだか。
エナジー5のターンに、2コスト自傷+7悟空を展開して、瞬亀からのリーダー効果で復活した2コストでジュニアを出して瞬亀回収、という4分割リーサルプランを狙いたいシーンが頻発してるので、セルジュニア万歳意識が芽生えてるのかもですが、ラディッツも使ったら使ったで使いやすい、と思うシーンももしかしたらあるのかも。わからんわからん。

3コストセル。
生ける挨拶。ジレンさようならセル。
現状、ジレンに対しては5ブラックからの正義で、一応ジレンに触れずに処理ができてはいるのですが、この運用をすると次のターンに5エナジーが溜められず、次のおかわりジレンを処理できず負け、みたいなシーンがあったりなかったり。
そう考えると、5kコンボ値と25k打点という最低限のスペックを備えたこのセルを忍ばせておくことで、ジレン対面をよりスムーズに戦えたりしないだろうか、みたいな気持ち。
これを書いてる直前の2戦がいずれもジレン対面だったので、このセルを入れてみたい気持ちが強くなってる可能性はあります。うずうず。
今のところこの緑ジブレットデッキは、3コストゴールデンフリーザと4コストシャレットという、キャントリップアタッカーで手札枚数を維持しつつ、リーダー能力を絡めて多面展開しながら、最終的には瞬亀の爆発力を使って押し切る、というイメージです。
なのでバトルが長引く前にさっさと押し切りたいのですが、上述の通りジレンもさることながら、序盤からライフを守る動きをしやすい青系のデッキにも若干苦手意識があったりなかったり。
黄ブウとはあまり対戦できてないのでなんともですが、別段ジブレットだから有利になるような要素もなさげだしデッキ相性は別段よくないと思うので、そう考えるとデッキの地力的に黄ブウの方が強いかなぁ、なんて考えてます。
とはいえ、もうちょっとすればMANGA BOOSTER 01の登場により、おそらく黄ブウ純粋がはびこる環境になるんじゃないかと思うので、やはり今が旬の楽しみということになるのかも。

MANGA BOOSTER 01の目玉カードと思われる、4コストブウ純粋。
KO時能力だけだったら別にどうということはなかったかもですが、KO無効の永続能力と、登場時キャントリップ+αが異質。
永続能力がバリアじゃなかったのが一応救いではあるものの、それでもやりすぎ感がしますね。くんくん。
3セルでエナジー送りにするような未来がある……のか?
ということで、新環境目前ですが、デジタル版のシーズン追い込み、あと1週間ほどがんばります。ふんす。
2025年6月23日(月)
夏休みの宿題モード
フミと申します。無職になって1809日。
まだ明けてないハズの梅雨、その気配はどこへ。毎日暑くてもう夏本番のような。
今日のタグはゲームにしようかな。
でもその前に、先日発展しないと思われた食べ物の話の続き。
お野菜買っていざ天ぷらを作ろう、と思ってまな板などなどを用意した後で、小麦粉を切らしていたことが発覚しまして、でも振り上げたこぶしをおろすわけにもいかず、朝から駅前のスーパーに小麦粉の買い出しに行ってきました。
やっぱりね、別にそれがお高いものじゃなくても、食べたいと思った時にその食べたい気持ちをちゃんと満たしてあげられるのは、精神衛生上大事というか、ハイクオリティオブライフだと思うのですよ。
そして今回のかき揚げは前回のニンジンとタマネギだけじゃなく、ネギと紅ショウガも加えた豪華版のかき揚げになりました。
そして前回のうどんから今回はひやむぎになって、全体的に夏の素晴らしいごちそう感マシマシ。
残ったお野菜もどこかのタイミングでまた天ぷらにしちゃいたいところ。
食欲が下がりがちな夏でも、好きな食べ物があれば乗り切れそう。
でもまあ、暑いは暑いです。ぐえぇ。
そしてゲームの話。
というか、フュージョンワールドの話。

先日まで開催されてた緑限定イベントは、規定の7戦が終わってからは人造17号に戻してプロモカードの収集に奔走してました。
今回はチケット26枚でコンプリートできました。
Cモア x8
C破壊の剛腕 x5
UCラディッツ x5
UC悟飯少年期 x4
R悟空 x4
という内訳。
今回のパックはRが含まれてたということは、その気になればこのチケットを無限回収することでRのワイルドカードを無限に増殖させられたので、ある意味無課金勢にはチャンスだったのかも。
で、その興奮冷めやらぬ中、スタートデッキEXとして、黒と緑のスターターセットが登場しました。
シャロット、ジブレットって誰?
と思ったら、ドラゴンボールレジェンズっていうゲームのメインキャラなんですね。ほへー。
自分ではまだ使ってないけど、フリーで対戦してる限りでは、緑のジブレットはちょっと強そう感を感じました。
使われて強い、と思っていざ自分が使ってみると「ん……そうでもないかな?」みたいになることがあるのでまだなんとも言えませんが、見た目のエナジーの少なさを全く感じさせない立ち回りができそうなデッキで、対戦する前にカードのテキストを読んでたイメージよりも強かったです。
新環境、というほどの大きな変化ではないですが、この6.5弾環境とでもいいましょうか、次の新弾が来る前のシーズン終盤、いつものようにレベル上げのラストスパートに追われてます。
ほぼ毎日プレイしてるものの、2-3戦程度じゃ期間内にレベル100に到達しないこの塩梅、嫌いじゃないです。
何か欲しいSRカードがあるわけじゃないけど、それでも貴重なSRワイルドカードの入手機会を逃したくないので、がんばってレベル100まで伸ばしたいんですが、残りあと10日で現在のレベルが81。
足りない!
毎日2レベルずつ上げないといけない計算。
でも今日だって朝起きてからお昼前まで、10戦以上やったんだよ。これ、結構疲れるよ?
朝ごはん休憩をはさみつつ全部で12戦して9勝3敗だったので、990点分のexpを集めてるけど、ノルマ的には毎日1000点分以上は稼がないとなので、また少ししたらフリーマッチマラソンを再開しなくちゃ。
次の環境は第7弾の前にMANGA BOOSTER 01という原作マンガイラストをフィーチャーしたパックによる環境変化だと思うので、むしろそれこそが6.5弾環境というべきものなのかもですが、新弾カードの登場もさることながら、青のピラフと黄のバビディに規制が入ることになって、そっちの意味でもまた環境に変化がありそうです。
カード版のMANGA BOOSTER 01はもう今週末には発売なんですね。
公式サイトでカードリストが公開されてるようだし、チェックしてみようかな。
そうして一旦現実逃避したら、またシーズン末期のレベル上げのラストスパートをがんばろう、そうしよう。
2025年6月19日(木)
ちらうら
フミと申します。無職になって1805日。
役所というか行政の施設の入り口にミストシャワーが設置されてました。
スーパーや図書館なんかはそこそこの頻度で出かけるのに対して、こういう1年に1回行くか行かないかくらいのところは、たまに行くとその変化に驚いたり。
今住んでいるところは「超田舎!」ってほどじゃなにせよ、そこそこ田舎だよなぁ、と思いながら生活しているので、そういうところにミストシャワーのようなものが設置されてると、なんとなくですが「なかなかやるじゃん」みたいな気持ちになります。
ところで、今日の雑記のタグ付けは「雑多」かなぁ。雑記なんだからだいたい雑多なんだけど、輪をかけて雑多な感じ。
もうちょっと考えがまとまったらそれぞれ個別に書いてみようかな、と思ったりするものもあれば、単なるメモ的なものもあったりで、やはり雑多な感じ。
メモその1。
昨日も、なんなら結構前にも似たようなことを書いたかもですが、手作りのお料理の価値に関する話。
料理を自作する、という行為は昭和、平成初期では結構当たり前で、当然そうするべき、そうあるべき、みたいな風潮が強かったと思うんですが、今でも以前そのマインドは多く残っているものの、少しずつその風潮が薄れてきているかな、というのと、今後もっと時代が進むと、料理を自作するのはもはや趣味の領域になって、フツーの人はよそで作られたものを買って生活するような生活スタイルになるんじゃなかろうか、的な話。
おそうざい屋さんの商品も冷凍食品もコンビニのメニューも、多種多様なラインナップがそこそこの価格で提供されてて、栄養やおいしさも一定水準になってくると、何も手間暇かけて自作しなくてもよくなーい?
という考え方が主流になっていくんじゃないかな、という。
今の令和の世で、日常で身に着ける服を自作してる人っておそらく本当にわずかで、基本的にお店で買ったものを着用していると思います。
これがある程度時代をさかのぼると、普段着を各家庭で自作していた時代があったはずで、製造や流通の技術革新によって徐々にその習慣が薄れていったんではなかろうか、なんて考えています。
こういった側面に加えて、「ご飯は手作りの方がよい」という価値観そのものがどんだけ残ってるのか、みたいなところも含めてもにょもにょ考えてみたいところなんですが、如何せん今一つまとまってないので、とりあえずこういうことを考えてるよ、考えたいよ、というメモ。
メモその2。
Nintendo Switch2が販売されてて、この手の人気商品が出回ると付いて回る転売の話も出てくるんですが、こういう人気商品の転売者と、問屋さんや、その問屋さんから仕入れて一般向けに販売する小売店と、株式市場や先物市場におけるトレーダーと、それぞれの本質的な差異ってなんだろうなぁ、みたいな話。
モノを仕入れて売る、というアクションは共通してそうだけど、どういう差異で印象が変わってるんだろうなぁ、と。
生産者が広く一般向けに販売を行っていない場合に、その仲介を行う形態が問屋や小売店の仕事で、その仕事の付加価値によって儲けを得る、というのに対して、転売者の場合は一般向けに販売を行っているレイヤーに無駄に一層フィルタを?ませてる、みたいな違いがあるので、そこがこれらの違いかな、みたいなのはなんとなく感じるのですが、じゃあ株式市場で取引してる人たちと転売者の違いってなんぞ? みたいな。
あと、これとは直接関係ないんですが、NISAや投資やらといったものが一般向けに周知されることが多くなったタイミングで、「株式を買うことはその企業の応援につながる」みたいな言説を耳にしたことがあるのですが、資金調達の伴う新規公開株式の発行の場合ならともかく、既に発行済の株式がある所有者から別の所有者に移ることがなんで応援してることになるんだろうなぁ、みたいな気持ちになったことがあります。
買おうとする意志が株価の上昇につながって、企業価値が高まるから、みたいなことなのかもだけど、株価が増えることそれ自体は直接的なメリットなんだろうか、みたいな。
この辺はもう少し仕組みを理解しないと分からないんだろうなー、ということで、これまた今後考えてみたいことリストに登録してます。
メモその3。
今日お買い物に行った際、先日食べた天ぷらで得た幸福感が忘れられず、またもにんじん、ピーマン、ナスを買っちゃいました。
タマネギはまだちょっと冷蔵庫に残ってるので、これでまた天ぷらを楽しめるぞ、と思ったのですが、今度はもっと夏っぽく、うどんじゃなくおそうめんと一緒に食べたいな、ということで、今回はおそうめんコーナーにも寄ってみました。
そこではうどんやそうめんと並んでひやむぎも置いてあって、同一ブランドのそうめんとひやむぎを見比べてみたんですが、いまいち何が違うのか分からなかったので、とりあえずゆで時間の長いひやむぎの方をチョイスしてみました。
で、帰宅してから「ひやむぎ そうめん 違い」ってgoogle先生に聞いてみたところ、なるほど、うどん、ひやむぎ、そうめんはそれぞれ太さの違いによって分類されているのか、ということを知りました。
JASやるなぁ。
前にスコップとシャベルの差異についてJIS規格を調べたことがあったけど、こういうのってなんとなく分かるけどいまいち確信はないなぁ、というふんわり知識な気がします。
JASの定義に基づくと、極太うどんや極細そうめんは存在しそうだけど、極太ひやむぎや極細ひやむぎといったものは作れなさそうね、と思いましたが、確かにそんなフレーズ聞いたことないなぁ、と妙に納得しちゃいました。
個人的には、ひやむぎはそうめんの亜種だと思っていたのですが、ひやむぎとしては細めなものを食べていただけなのかも。
もし直径1.7mmに近いひやむぎを食べていれば「ひやむぎってうどんの仲間でしょ?」という気持ちになっていたかもしれないので、世の中にはそういう人もいるのかもだけど、じゃあ仮にアンケートで
「ひやむぎはうどんとそうめん、どっちの仲間だと思いますか?」
という質問をした時に、なんとなくそうめん派閥だと私は思ってしまったので、果たして世の中的にはどうなんだろうか、と思った次第。
夏も始まりそうだし、この夏会う知人らにこのしょーもないアンケートをしてみようかな、という気持ちになりました。
あ、この話は別にこれ以上発展しません。(笑
2025年6月18日(水)
雨でも晴れでも文句ばっかり
フミと申します。無職になって1804日。
エアコン。エアコンの利用が大切なのです。
今日の雑記のタグ付けは「食べ物」ですかね。
先日の雑記でちょこっとだけ祖母の天ぷらの話をしたせいか、昨日は朝からというか、厳密には一昨日の夜にベッドに入ったときから、なんとなく天ぷら食べたいなー、という気持ちが渦巻いていたので、昨日のメニューは久しぶりに天ぷらとなりました。
天ぷらの具材としては、冷蔵庫にあったナスとピーマン、あとニンジンとタマネギでした。
今までにも何度か天ぷらを作ったことはあるんですが、一人で食べる分をちょこっと作って揚げるのはオーバーヘッドがそこそこあって面倒さが勝るので、普段はあまり自作せずおそうざい屋さんで売ってるのを買っちゃうことが多いです。
でもさー、最近お外が暑いじゃんねぇ。出たくないじゃんねぇ。
なんなら梅雨時で雨が降ってたらそれはそれで出かけるのが億劫だし、からっと晴れたら晴れたで暑い暑いって、それはもう、ワガママの極みで残すは出前やUberEats的なものに頼るしかないんだろうけど、あれは時間に追われる人や貴族のたしなみの一環だと思うので、ワタクシめのようなものには過ぎたものでございます。
ってなワケで、昨日は午前中から油と格闘してたんですが、キッチンで調理してる時点でもう、めっちゃ暑いんですよ。
パソコンをつけて、IHも使って、さらにそこにエアコンまで付けちゃうとブレーカーが落ちちゃいそうでちょっと怖いので、基本的に調理中はエアコンを切っていることが多いんですが、それもあってかまだお昼前だというのに汗だくになりながら天ぷらを揚げてました。
外出しなければ汗だくにならずに済むかと思ったけど、どうやらそうでもなかった模様。
で、せっかく天ぷらを用意するなら、何かおそうめんのようなものと一緒に食べたいなー、と思ったんですが、あいにくおそうめんのストックが無かったので、代わりにおうどんを茹でて天ぷらうどんにしました。
ナスを2つ分、ピーマンを4つ分、ニンジンは小さめのを1本、タマネギは大きめのを1/3くらい、これらを全部揚げたんですが、さすがに一食では食べきれなかったので昨日はお昼ご飯とお夕飯が両方とも天ぷらうどんになりましたが、ニンジンとタマネギからなるシンプルかき揚げが思いのほかおいしくてびっくり。
野菜かき揚げっていうと、もっとなんかこうエビとか貝類とか、三つ葉とかネギとか、色々オプションが入ってそうですが、ニンジンとタマネギだけのシンプルすぎるかき揚げでも、なんかめっちゃおいしく感じました。
材料的に甘い要素はなさそうなのに、なんでか甘く感じるんだよなぁ。
一人暮らしを始めてから、基本的に外食よりは自炊をする生活スタイルを続けていたのですが、初めのころは油で揚げる料理は一切やらずにいました。
使った油の後処理が面倒、というのが主な理由だったんですが、でもある時になんとなく揚げ物に挑戦してみたくなって、試しに鶏のから揚げを作ってみたところ、思った通り油の後処理は若干面倒ではあるものの、揚げたてをすぐに食べられるアドバンテージは結構大きいぞ、と片付けの面倒臭さよりも享受できる幸福感の方が上回ったことにより、そこそこの頻度で揚げ物をするようになっています。
昨日のような天ぷらのほか、トンカツ、チキンカツなどのパン粉系の衣タイプ、あとは唐揚げのような小麦粉/片栗粉の衣タイプ、この辺はそこそこの頻度で実施されるのですが、未だにコロッケやメンチカツは自作できてません。
揚げる前の下ごしらえの手間を敬遠してしまい、コロッケやメンチカツはとても好きな食べ物ではあるんですが、これらはおそうざい屋さんで買ってしまう代表選手のまま。
小さいころは母が自宅で作ったコロッケを食卓に出してくれたことがそこそこありましたが、あれは結構な手間がかかってたんだなぁ、と今更ながらしみじみ思ったり。
でもまあ、おそうざい屋さんの商品はもちろん、最近は冷凍食品であっても味の面では手作りに見劣りしないものも多く売ってそうなので、手間のかかるメニューに関しては手作りにこだわらず出来合いのもので済ませた方が効率面では都合がいいのかも。
世の中にこれだけ多種多様なメニューが揃っているのであれば、食事を作る過程が好き、というのでなければさほど自炊にこだわらなくてもよさそうな印象。
外食はお金がかかる、って見方ももしかするとあるかもですが、今や日本の平均的な最低時給が1000円を上回っているようなので、1時間かけて天ぷらを作るよりは、1時間働いて1000円ゲットして、そのお金で天ぷらを買った方がもしかしたら賢い選択なのかも。
なんか政治の世界の方でちょっと話題になってる小話として、1か月あたりの食費は2万円くらい、1日当たり700円が想定されてるとのことなので、1000円から仮に税金20%が引かれてもまだお釣りがもらえそう。
なお、1461日記念の時に確認したところによると、ここ数年の自分の食費はまさにこの1か月あたり2万円くらいなので、想定されてるモデルケースは自分みたいな人なのかもしれない。
……ホントにぃ?
2025年6月16日(月)
健文最職の「文」担当回
フミと申します。無職になって1802日。
hot and humid という表現がしっくりくる天気。
昨日、外出から帰宅して家のドアを開けようとした時に、ドアにヤモリ的な生物が張り付いているのに気付きました。
以前、ヤモリ的な生物のミイラせんべいが出来上がった話をしましたが、なるほど、これで私がドアを開けた際にうっかりスキマに入ってしまい、その後数日私がドアを開けない場合にあの謎のミイラせんべいが作られるのか、と。
今回はドアを開ける前にそのヤモリ的な生物をドアから遠ざけることに成功したので、不幸な事件が起きずに済みました。
今日は「カテゴリ:読書」みたいなタグを貼ってもいいような雑記にするつもり。
昨日の遊びに行った際の往復の電車の中で、阿Q正伝を読みました。
B5サイズで厚みが3cmくらいあるハードカバーの本を立ちながら読むのは手首が結構くたびれるのですが、まあなんとか耐えました。
内容についての感想の前に、なんでこの阿Q正伝を読もうと思ったかについて簡単に話します。
中学時代か高校時代かもうろ覚えで、科目も現代文だったのかどうかもうろ覚えではあるんですが、とにかく学校の授業でこの「阿Q正伝」っていうタイトルの小説作品を魯迅が書いた、という事実だけを学んで、でもその内容やテーマについては全く知らない状態が続いてました。
当時、魯迅の「故郷」という小説は授業の題材として扱われてて、その「故郷」の作中には「ホンル」って名前の登場人物がいたなぁ、というのは今でも覚えているのですが、その一方で阿Q正伝については直接触れる機会がないままでした。
数年前、私がまだ働いてた頃に、日本語を話せる中国出身の方々とお仕事上で接する機会がそこそこあったのですが、ある日の飲み会の席で、日本人の知ってそうな中国文学の話になった時に、春暁のような漢詩とか、水滸伝とか西遊記、三国志演義のようなタイトルと一緒に阿Q正伝の名前も出て、その場で「なんでこのタイトルはQっていうアルファベットの文字が含まれてるの?」って質問を同席した中国出身の方々に聞いたりしたのですが、結局内容についてはあまり深掘りされずにいました。まあお酒の席だしね。
とまあ、そんな感じで私の中で阿Q正伝というのは「タイトルだけ妙にキャッチ-なんだけど、結局内容は謎のままの小説」という存在で居座り続けており、先日図書館に行った時に「今日は何を借りようかな」と思った時に突如上述のいにしえの記憶が呼び起こされて、そうだ、今日は阿Q正伝にしよう、ということで、ファーストコンタクトから数十年の時を経て、ようやくその不思議な存在の邂逅を果たすことになりました。
では、そのめでたく邂逅できた阿Q正伝のカタログスペックというか形式的な説明からすると、中国の作家魯迅が1920年代に著した中編小説で、日本だと「阿Q正伝」ってタイトルで、原題だと日本でいう旧字体の「阿Q正傳」って表記になります。
ちなみに英語だと「The True Story of Ah Q」ってタイトルだそうです。カッコよさというかキャッチ-さはどの言語版でも同じように残ってるように思えます。
ただ、やはり漢字文化圏でタイトルを見た時の「Q」という文字の異質さが一際キャッチ-だと思います。
そりゃもう、発表から100年後の日本でもこうやってそのタイトルだけで一定の興味を示されるくらいにはキャッチ-なんですよ。
近年の日本のライトノベル文化を中心にそのタイトルや副題を妙に長々とする風潮がありますが、ああいうキャッチ-さの醸し出し方もさることながら、これはこれでとてもシンプルかつ効果的なキャッチ-さの演出だと思います。
阿Q正伝は全9章からなる中編で、その第1章まるまる使って、私が長年もやもやと疑問に思っていた「なんでこの作品はこのタイトルになったのか」ということを懇切丁寧に説明してくれてます。
なぜ「阿Q」なのか、そしてなぜ「正伝」なのかについても語ってくれてます。
この第1章を読んだだけで、100年前の作者魯迅せんせーに「ありがとう、アンタ、分かってるねー」って言いたい気持ちでいっぱいになりました。
で、このタイトルからすると一見「武勇伝」とか「水滸伝」とか「〇〇列伝」とかそんな感じの冒険憚にも見えるのですが、ところがぎっちょん、冴えない男の冴えない生活がやや鬱屈した雰囲気で描かれてて、別段激しいバトル的展開があるわけでもなく、どちらかというと愉快痛快爽快とは真逆の感情を誘発するような物語でした。
これまた近年の日本のライトノベル文化を中心に、冴えない主人公が異世界に転生して無双して云々、といった一種の転生系テンプレートがありますが、その冴えない主人公が転生せず冴えないまま現世を過ごすのが描写されてる感じです。
もっと言うと、主人公の精神が今日の日本における一般的な尺度からすると、やや歪んでいると言って差し支えない程度のもので、決して好感を持たれる主人公ではないのです。
wikipediaを見るとあらすじや作品の背景も書かれてるのでなんとなく雰囲気をつかむことができると思いますが、英語版wikipediaの方には9章それぞれのサブタイトルとあらすじが日本語版よりも詳細に記載されてました。
言葉を選ばずに言えば、基本的に主人公がクソ野郎な感じで、その主人公の愚行が淡々というか、やや陰鬱な感じで描写されていくので、読んでて爽快感は無いものの、作中の盛り上がりポイントというか、この後どうなっちゃうんだろう感はちゃんとあって、読み物としてつまらない、という感じはないんです。
ただ、繰り返しになりますが、如何せん主人公が俗物の極み、愚かさや卑しさを煮詰めた煮凝りみたいな感じのキャラクターなので、是非心身が健康な状態というか、精神的にゆとりのある状態で読むのがいいんじゃないかな、と思いました。
まあ、私みたいな無職が他人様に対して何を言うか、みたいな気持ちもなくはないんですが、かといってこの作品の主人公の精神性を礼賛できるところはマジでないんですよ。
ただ、作中に出てくる「精神的勝利法」というキーワードがあって、おそらくこの作品を論評する上で重要になるであろう概念があるんです。
ざっくり言うと、実際には負けている、劣っている状況なんだけど、その事実はさておいて、直面している事実とはほぼ無関係なこじつけや屁理屈を脳内でこねくり出して、自身の内心では相手に負けていない、勝っているんだ、と思い込むことで失った自尊心を回復できるという、スーパーセルフマインドコントロールスキルのことです。
主人公はこのスキルレベルが突出して高くって、ケンカに負けても意気揚々、賭博で負けても意気揚々、というある意味無敵の人になっているワケです。
おそらく、この精神的勝利法に基づく俗物根性というか主人公の精神性は、一般的には批判的な意味合いで語られることが多いのかとは思うのですが、個人的には、現代日本人も程度の差こそあれ、誰しもが持ってて実際に使役してるんじゃないかなー、とは思うのですよ。
なので、これを安易に未熟な精神性、として批判していいのかはちょっと怪しい気もしてて、少なくとも、この自尊心回復スキルが自身の内心で完結してるのであれば、それはそれでアリなんじゃないかな、と思います。
具体的な例を出すと、例えば学校でクラスメイトのAちゃんが自分よりもテストの成績が良くて、直面してる事実ベースでは自分は学業面でAちゃんに劣っている、という状況があるとします。
そういう状況で、
「でも自分は家系的、遺伝的に生まれつき勉強が苦手なんだよなぁ」
とそれが事実かはさておき、本気でそう信じ込むことによって、
「それなら別にAちゃんに負けたってことにはならないか。いやむしろ勝ってるかも?」
みたいな感じで自分で完全に納得して、幸せな気持ちにすらなれるような超展開をしていく感じが、主人公のやってる精神的勝利法に近いと思います。
これは負け惜しみを言う、とか相手のアラを探してそこを突く、というのとはおそらくちょっと違っていて、もし負け惜しみであれば
「でもAちゃんは運動が私よりできないし!」
みたいな感じになるかもだし、相手のアラを探すのであれば、
「でもAちゃんは掃除をサボって帰ってたことがあるし!」
みたいな感じになるかもなのですが、これらはいずれももともとの評価軸とは異なるものの、事実ベースで自分が相手よりも優位に立てる点を見出して、その評価軸での比較にすり替えることにより満足感を得る、という戦法になります。
一方、作中の精神的勝利法のスゴイところは、事実ベースで自分が相手よりも優位に立てる点があろうがなかろうが成立するので、相手の欠点や落ち度が無い状況であっても、事実を全く無視して自分が思う超謎理論によって自分を納得させることさえできればいいんですね。
フツーの感覚の持ち主だと、仮に一時的にコーフン状態からこういうマインドになったとしても、スッと冷静になった時に劣等感を抱いてお布団でモダモダしまいそうなところですが、主人公はこのセルフメンタルケアスキルが異常に高いので、ひとたび精神的勝利法を発動すればケンカに負けた夜でもスヤスヤぐっすり気持ちよく眠りにつくことができるのでした。
阿Q正伝を通じて魯迅は当時の民衆のこういった精神性を批判した、という言説もあるようなのですが、100年前の中国ではこういう精神性の人たちがはびこっていたのかは正直分からないです。
なので、これをもって安易に当時の中国の国民性を嘲笑するようなことはできないのですが、でもまあ、いろいろ考えるところはあるなー、と。
ここからは阿Q正伝の読書感想文からはちょっと離れていくのですが、でも今回こうして阿Q正伝を読んで思ったこと、考えたことではあって、広義の意味では読書の感想ではあるんで、気にせず続けて書いちゃいます。
まず、中国の歴史として、100年ちょっと前に辛亥革命があって、阿Q正伝も辛亥革命期の中国を舞台にした物語なんですが、作品自体は革命の10年後くらいに発表されてます。
辛亥革命で清から中華民国に変わったタイミングが1911-1912年。
革命っていうとイマイチピンとこない感じもありますが、日本で考えると大政奉還により江戸から明治なったのが1868年で、あるいは大日本帝国憲法が1889年発布なので、質は違えど、国の仕組みやイメージがそこそこ変わったんだろうなぁ、くらいの感覚は一応掴めそうな感じがあるかも。
フィクションではあるものの「るろうに剣心」が明治11年前後の日本を舞台にした物語なので、それをイメージすると昔といってもどのくらい昔だったんだろうか、という感覚がなんとなく伝わるかも、かも。
その時代から100年ちょっとが経過してるので、この間に人々のはどの程度精神的に成長したか、あるいは大衆意識がどう変わっていったか、ということがある種の考察ポイントなんですが、たかだか100年、人はそう簡単には変わらないよね、というのもあるだろうし、いやいや、近現代の100年で人の意識は相当様変わりしたよ、というのもあるだろうし。
たとえば、阿Q正伝でも引回し(引廻し)のシーンがあるのですが、日本でも刑罰として江戸時代末期というか明治初頭まであったようなので、果たして当時の民衆がそれをどう感じていたかはやっぱり分からないものの、現在の民衆の感覚とはやっぱり違ったのかもしれないし。
他方、21世紀になってネット文化、特にSNSや配信サービスなどが大衆化したことで、それらのサービス上で散見されるしょーもない系の、例えば誹謗中傷、荒らしなどの迷惑行為を目の当たりにすると、昭和後期、平成初期ではあまり表出していなかっただけで、個々人の他者に対する陰鬱な精神のようなものは今も昔もそうそう変化するようなものじゃない普遍的なもので、むしろ今はそういうのが露になりやすくなってるかも、という見解もあるかもだし。
そもそも論として、個人レベルの精神的成長、精神的変化を客観的に測定するのも難しければ、大衆レベルのそれらを定量的に議論するのもやっぱり難しいので、言葉では国民性がどうこう、って仮に言えたとしても、その正確性や客観性はあまり担保できないよなぁ、と思っちゃいます。
もっともっとなそもそも論を言っちゃうと、集団に共通する意識や性質を表現するのって結構難儀で、例えば中国人は○○、とか日本人は○○、っていうのがもう難しい。
これは集団のサイズを小さくしていくことで難易度はある程度下がるんですが、結局難しいままで、東京都民は○○、世田谷区民は○○、世田谷一丁目の人たちは○○、なんて表現はまあ難しいですよ。
年齢性別も多種多様だから難しいかというとそんなこともなくって、○○小学校の1年1組の性質はこれ、みたいなのだって結局難しいままだし。
とはいえ、ウソかマコトか、多少の例外はあるにせよ、日本人は諸外国人に比べて時間にルーズでない、とか、待機列の形成マナーがよい、とか、そういうのも一定の信憑性はあるので、うーん、という感じ。
阿Q正伝当時の農村の中国人ってどんな精神性だったんだろう、というのを考えるよりも、現代の都心の中国人ってどんな精神性なんだろう、というのを考える方が難易度的には易しいハズではあるんですが、それだって全然現実的じゃないというか、さっぱり見当がつきません。
今日の雑記の冒頭で話したように、無職になる前はお仕事で一定数の中国人の方々と職場で一緒にお仕事をしていたので、自分が直接体験したごくごく少数のサンプルとしての中国人のイメージっていうのは私の中でちゃんとあるんですよ。
とはいえそれは「日本企業に出向として来日している協力会社所属の中国人」という極めて限定的な属性を持った中国人のイメージなので、それがそのまま現代の一般的な中国人のイメージと合致するかっていうと、多分そうじゃないんだと思います。
私の中での彼ら、彼女らのイメージは、勤勉、謙虚、親切、丁寧、そしてだいたい卓球が上手、という感じなんですが、おそらくネット等で見かけるような中国人のイメージとは多分かけ離れてますよね。
これまた飲み会の場で彼ら彼女らの学生時代の話を聞くところによると、高校、大学時代はとにかく勉強が大変だったそうで、私が会っていたのは察するに学業的な意味で相当なエリートさんたちだったんだろうと思うのです。
なので、特定集団の上澄みを見てるからこういう印象になってるんだろうな、という認識はあります。
それに加えて、中国って日本よりも人口が多くて、その中に一定割合存在するであろう悪性の存在が必要以上に悪目立ちすることで、もしかすると本来の集合の持つ精神性を反映した射影よりも、ネット等で見かけるような中国人のイメージが映し出す像の方が悪くなっているのかもしれないですし。
もちろん逆の可能性もあるので、主語を大きくしての言説は殊更訴えませんが、私の直接観測した範囲のごく一部の中国人の集団の作る射影は、私が直接観測した日本人像の作る射影よりもキレイめではあるかなぁ、とは思います。
繰り返しになりますが、片方は上澄みだけを見てて、もう片方はそうでない集団を見てるので、これが大衆意識のキレイさの比較として適切でないのは承知してます。
歴史的なイベントで考えていくと、第二次世界大戦後に日本では大日本帝国憲法下のシステムから日本国憲法下のシステムへと移行して、このシステム変更により国民性がどのくらい変わったのかを客観的、定量的に表現するのはやっぱり難しいものがあるのですが、自分の祖父母の世代の人たちをイメージをすると、これまたごくごくわずかなサンプルではあるのですが、なんとなくのイメージが形成できそうです。
といっても、私の祖父母はいずれももう他界して久しく、今となっては直接お話することもかなわないのですが、仮に話ができたとしても、それはあくまで「祖父母-孫」という関係性上のものになってしまうので、戦中戦後時代に青年時代を過ごした人たちが孫に見せる姿、でしかないのかも。
今でこそこういうことを考えたりするので、たまに帰省した際には親世代のマインドにはせめて注目して少数ながらサンプルを集めてみよう、と思ったりもするのですが、小さいころは「おばあちゃんのつくるカボチャのてんぷらおいしー!」とかそんな感じだったので、やむなしやむなし。
一方、戦後は中国でも中華民国から中華人民共和国へ、あとは1960年代から70年代にかけては文化大革命が。
文革当時10代だった人たちは今60代とか70代。
当時の文革がどういう感じだったのか、全く分からないので資料的なものを読んでイメージするしかないんですが、これはこれで結構センセーショナルな歴史上の一幕ではありそう。
歴史上の一幕といっても、何もそんな遠い昔のことじゃなくってせいぜい50-60年前のことなので、当時の人が今も結構現存してて当たり前ですが太平洋戦争経験者よりずっと多く残ってることになります。
こういうものは当時子どもだった人たちに結構な意識変化をもたらしたのか、あるいはこういう運動の有無によらず、人間の精神性はそうそう変化しない安定的、普遍的なものなのか。
まあその辺は精神科とか心理学者とかの専門家が一定の見解を示したりするのかもですが、個人的な感覚としては、少なくとも今時点で阿Q正伝を読んで主人公の精神性をやや批判的に感じながらもさもありなん、と想像しうるということは、何も中国人だから、とか、日本人だから、とかいった国民性の問題ではなく、程度の差こそあれ人間の心のフェイルセーフ機能のような形で備わってるのかも、なんて思ったり。
安定的、普遍的とはいえ、古代の人たちと現代の人たちのマインドはさすがに同質ではないだろうから、もっと時代が進んで人間の精神性が成熟していったら、
「遠い昔の人たちはこんな愚かな考え方をしてたのかもね、ハハハ」
なんて笑い話になってるのかもしれませんが、残念ながら100年程度ではそうもいかないっぽいね、というのがとりあえずの個人的見解です。
ということで、読後感が良かった、とかそういう感じでは全然ないのですが、読書をきっかけにあれこれ考えてみよう、という気持ちにはなりました。
そういうこともひっくるめて、読んで良かった、と思える一冊でした。
2025年6月12日(木)
年一のイベント
フミと申します。無職になって1798日。
善は急げ。でも善じゃなくても急いだ方がいいよ。
今日は朝から梅しごと。
今年の梅はこちら。

奈良県産の梅だそうです。
大仏様の加護があるかもしれない。
若干奈良の解像度が低いか。
あ、ちなみに隣にあるのは先日図書館で借りてきた阿Q正伝です。
阿Q正伝、昔学校の授業でその名前を知って以来いつか読んでみたいと思っていたんですが、挿絵がいっぱい入ったでっかい版の本を借りることができました。
さてさて、今年も梅ジャムを作ろうと思ったのですが、去年、一昨年と参考にしてたレシピがどういうわけかクックパッドで見つかりませんでした。
クックパッドの仕様を知らないのですが、もしかしてアカウント削除とか整理とかで消えちゃったとかそーゆーことなのかもですが、とりあえず例年と同じ味を再現したかったので、分量については去年のこの雑記を参考にすることにしました。
こういう風に1年後に参照することになるとは自分でも思わなかったけど、ネット上の自分用メモなんて、ちょっと贅沢なリソースの使い方じゃないですか。
作り方については去年と全く変えてないので、途中経過は省略して、完成品がこちら!

2025年版の梅ジャムがこちらです! どん!
お料理番組よろしく完成品が登場してますが、ゆっくり煮詰めたりなんだりなんだかんだで今日の午前中いっぱいかけて作業してました。
でもこれで今年もしばらく自家製ジャムを味わうことができます。
材料は去年、一昨年と変えてないつもりなんですが、今年は大ビン2つ分になりました。
おそらく煮詰めたあとにザルでこす時の強さ次第なのかも。
ということで今年も無事梅ジャムを作ることができました。
去年も言いましたが、こうして梅ジャムを作るたびにクックパッドたんさんに感謝の気持ちを表明するのであります。
きっとこういう感じでいろんなところで、あのお料理の妖精さんの精神が引き継がれてるんだと思います。
今日はお~しま~い!
2025年6月11日(水)
ジャム作りの予備動作中
フミと申します。無職になって1797日。
最近雨が多いな、と思うので、ちゃんと調べてないけどきっと梅雨なんだろうな、と思います。
今日の話題その1。梅。
昨日、スーパーに行ったら1kgの青梅が800円で売られていたので、ここがラストチャンスと思って購入しました。
家計簿によると、去年は898円+税、一昨年は638円+税、というお値段だったので、まあまあこういう価格帯のものなんだな、と。
確か去年は梅が悪天候による不作で云々、みたいなことを店頭で告知してた気もするので例年よりちょっとお高めだったのかもですが、1年に1回ジャム作りを楽しめる機会だし、まあこのくらいはいいでしょう。
ということで、今週は梅ジャムを作ろうと思うのですが、まずはジャム瓶を洗うところから。
明日か明後日には梅ジャムをにろにろ作りたいなぁ。
今日の話題その2。フュージョンワールド。
期間限定イベント、緑リーダーによる、緑リーダーのための対戦会。
規定の7回を終えて今回は4勝3敗といまいち振るわず。
というのも、そもそも環境を読み違えてた感じがあって、てっきりみんな猫も杓子も新ブロリーBRリーダーで来るかと思って構えてたんですが、蓋を開けてみたら
悟空 4
ベジータ 1
17号 1
ブロリーBR 1
という感じで、最大勢力を勘違いしてました。
こういう分布だったら自分も人造人間17号を使えばよかったなぁ、と。
規定の7戦は終えたもののまだまだプロモパック集めが待っているので、ここからはこの環境に合わせた人造人間17号デッキで残りのイベント期間を楽しみたいところ。
で、早速気ままに2戦ほどイベント戦を継続してみたところ、悟飯、17号というマッチング。
魔境。魔境。
今日の話題その3。来月の小旅行の宿の予約。
プチ旅行まであと1か月くらいになるんですが、5月の下旬にお誘いをいただいてから、ほぼ毎日、数時間間隔で近隣のビジネスホテル2軒と漫画喫茶の予約が開かないかチェックし続けていたのですが、今日、ようやく予約の隙間が見つかって、予約することができました。
無職は時間が無限にあるから、こういう定期的なチェックが得意なんだぞ!
といいうことで、今年も漫画喫茶の鍵付き個室です。
これで3年連続漫画喫茶での宿泊となりますが、そうと決まれば、当日読む漫画の候補を調べておこうかな、と。
2年前は「セントールの悩み」で1年前は「カナカナ」をお供にしたのですが、果たして今年はどうなるのか。
自宅近所の漫画喫茶と同じ系列店なんですが、店舗が違うとコミックの取り揃えも結構違うので、せっかくなら近所に置いてないコミックを読みたいところ。
という感じで、直線距離で200km以上離れた漫画喫茶で何を読もうか、1か月前から計画を立ててます。
とってもしごでき!
今日の話題その4。訪問勧誘的な何か。
年に数回くらいの頻度で、たまーに家にやってくる謎の訪問者。
毎回同じ人ではないんだろうけど、区別がつかないしそもそも話も聞かないので謎のまま。
新聞の勧誘とかじゃなくて、おそらく不動産投資とかそういう感じなんだと思うけど、なぜかこの人たちは決まってインターホン越しでのやりとりを頑なに拒むというか、とにもかくにも玄関先へ出てくるように促す点が共通してます。
「この地区を担当しているナントカカントカで、ご挨拶に伺いましたー。玄関先までお願いしまーす」
みたいな文句とともに現れる謎の組織からの刺客。
時間に余裕のある時、というといつもそうじゃん、って感じなんですが、ゲームしてたり動画みてたりとかでこう見えて結構忙しいのですよ。
だもんで、時間と心に余裕のある時は、たまには人間との会話を楽しんでみようか、という気持ちで玄関先まで出てしょーもない話を聞きながらこっちもしょーもない話をして、お互いの時間を無為に消費することもあるんですが、今回は動画を見るのに忙しかったので塩対応で終わりました。
でも塩対応とはいえ、一応いつもと同じタイプの刺客かどうか確認するために、
「ご用件はインターホン越しで話せないですかー?」
と聞いてみたんですが、なぜかこの質問には答えず、
「玄関先までお願いしまーす」
という感じで、一応日本語だということは理解できるんだけど、日本語での意思疎通が難しそうな感じでいつも通りの刺客さんでした。
ここで
「じゃあお断りします。お引き取りください」
みたいな感じで終了するのがいつもの感じなんですが、今回は若干アレンジを変えて、これよりもう少し相手に寄り添った返答パターンで対応してみました。
「ご挨拶に来られたんですね。 (声の調子を整えて)『こんばんは~☆』 はいっ 挨拶しました!」
こんなセリフで終了するダイアローグが日本語の日常会話であるとはとても思えないのですが、今回はこれで相手が断念したのか、これ以上の会話はありませんでした。
この刺客をやってるのはおそらく確固たる信念をもってやってるんじゃなくて、日々生きるためのお金を稼ぐべく、世間の人に疎まれ忌み嫌われながらもやむなくやってるんだろうと思うと、やはり労働は尊いものだな、と思う一方で、気苦労やストレスもろもろ大変だろうなぁ、とは思います。
宗教の勧誘の人はおそらく結構な割合で確信的にやってるんだろうとは思うんですが、こういうずるっこ系の営業の人は心の底からそれがジャスティスと思ってやってるとはあんまり思えないんだよなぁ。
本人が心の底からそれがジャスティスと信じてアクションしてるなら、本人の気苦労やストレスはもしかしたらあまり無いのかもだけど、きっとそうじゃないんだろうと思ってしまうので、お仕事大変ですね、って気持ちになっちゃいます。
まあ、そもそも大変じゃないお仕事を探す方が難しいとは思うのですが、それでも自分のやってることが世のため人のためにあまりならないと分かっていながら働くってのは結構しんどいと思うんだよなぁ。
個人的には、要件や目的をインターホン越しの会話の時点でそれなりに話してくれれば、内容によっては気が向いて玄関先に出向くのも吝かじゃないんだけどなぁ、って気持ち。
なのに、上述のように日本語の会話がそもそも噛み合わない感じだと、会って話をする気すらなくしてしまうので、その作戦はある意味機会損失を発生してないか?
と思うんですが、この手の刺客は決まったように誰も彼もこの戦術を取ってくるので、一応世間的には有効なマニュアルなんだろうなぁ。
あと、気になったというかなんというか、一人暮らしをしてからこの手の刺客で女性の方って一人も見たことないんだよなぁ。
他方、宗教勧誘のツーマンセルの場合は大抵が女性。
一般的なお仕事の営業職で女性の方ってのはフツーにいるだろうから、やはりこの手の刺客は女性では難しいんだろうか。
真相は闇の中。
2025年6月7日(土)
梅は英語で
フミと申します。無職になって1793日。
知ってる単語だろうなぁ、とは思うけど思い浮かばなかった、梅の英語表現。
調べてみると、
Japanese apricot
というのが一般的のようです。
でも梅の原産国は中国という説があるので、なんでジャパニーズって表現になったのかよく分からない、というのが正直なところ。
中国だと日本ほど一般的なものじゃなかったりするのかな。
梅酒、梅ジュース、梅シロップ、梅ジャム。
この辺のものが中国ではマイナー気味だったらジャパニーズアプリコットというのもまあそれなりに納得感があるけど、果たして。
そんなわけで、昨日は天気が良かったのでお散歩がてら梅を探して近所のお店を探しまわるプチお買い物ツアーをしてきました。
1軒目。
梅はなかったけど、梅ジャムを塗るための食パンを買いました。
2軒目。
梅はなかったけど、お野菜が安かったので、にんじん、じゃがいも、たまねぎを買いました。
ついでにお肉も買いました。ただのお買い物。
3軒目。
梅はなかったけど、カレールーが安かったので買いました。
4軒目。
梅があるにはあったけど、1200円くらいだったので断念しました。
5軒目。
梅があるにはあったけど、1000円だったので断念しました。
結果。
おいしいカレーを作ったよ!
次の梅チャンスは今度の火曜日。
いつも図書館のついでに行くディスカウントストアで確認してきます。
時期的に、これが最後の梅購入チャンスかもなので、800円台なら買ってしまってもよいかな、くらいの気持ち。
無職ともなると季節感にどうしても疎くなるので、こういう梅みたいな季節ものはやっぱり味わっておきたいけど、そこはお値段とご相談。
お値段といえば、キャベツは大分値段が戻ってる感じがするし、お米もそのうち戻るのかな。
昨日今日はカレーを食べてるからお米を炊いてるものの、そうでない時は普段ほとんどお米を食べない生活を送ってるので、巷で言われてるようなお米の高騰については
「ふーん。じゃあしばらくお米買うのやめよー」
ってなるだけなのですが、一般的な家庭ではそうもいかないのかも。
育ち盛りのお子さんがいるような家庭だと難しいだろうけど、社会人になってしばらくすると食も細くなってくるのか、ご飯なしでおかずのみの食事でもあんまり困らない気もするんだよなぁ。
居酒屋さんのメニューみたいに、ご飯系が無くってもなんとなく食事が成り立つみたいな。
個人的には一年間でほとんどお米を食べない生活も結構長かったので、あまり困ってはいないのですが、とはいえとはいえ、今後もカレー食べたいしお米の価格も早く落ち着いてくれることを期待してます。
2025年6月5日(木)
一喜一憂
フミと申します。無職になって1791日。
梅の季節なんですよ。そろそろ梅ジャムを作りたい気持ち。
梅1kgの相場がちょっと分からなくて、こないだ800円で売ってるのを見かけたものの、それは一旦スルーしちゃったんですが、今年の豊作/不作具合はどうなんだろうなぁ。
この時期限定の商品なのであんまりうかうかしてられないし、天気がよければ明日は近所のお店の梅を探し回ってみようかな。
でも最近雨っぽい天気が多いんだよなぁ。さすが梅雨。字面の通り。
ところで。
スト6こと、ストリートファイター6のキャラ追加およびバランス調整が入って、界隈がにわかに盛り上がってるようですね。
私自身はスト6未プレイ勢なのですが、スト6のプロシーンやらストリーマーイベントは結構観戦することが多いので、そこそこ興味深く傍目から眺めてます。
格ゲーはRPGなんかと違って、ゲーム内のキャラが成長していくんじゃなくて、プレイヤー本人の技量が成長していくゲームですよね。
なので、調整が入ったとしても今までの努力が全部失われることはない、というのは分かってはいるものの、それでも今まで練習してたコンボや連携がバージョンアップにより使えなくなったりすると、また改めて練習しなきゃー、みたいな気持ちになっちゃうのはよく分かります。
アップデートの健全性は一旦おいといて、アップデートがあることでゲームのマンネリ化が防げるので、こういうのは一喜一憂しながらも楽しむ心持ちが大事なのかも。
第一線で戦うプロプレイヤーはそうも言ってられないかもですが、ゲームを楽しむのが主目的の一般プレイヤーはそのくらいの気持ちでいいのかも。
ギルティギアストライヴの方はちょっと前にユニカが参戦して、今でもオープンパークでは結構な数のユニカがひしめいています。
団長肘もあるし、グリードセバーっぽい動きの技もあるし、なんていうかカイコンパチブルっぽい雰囲気で使えそうな気はするのですが、でもまあ相変わらずカイ一本でいかせていただいております。
一方、フュージョンワールドデジタル版の方では先日の初弾のリーダー限定バトルが終わって間もないですが、早くも新たなリーダー限定のイベントバトルが開幕しました。
今回は緑リーダー限定ということで、緑の人造人間17号を使ってる身としては、引き続き同じデッキを使うか……
とはさすがにならず、緑オンリーだったらさすがに新ブロリーBRを使ったほうがいいんじゃないか、と思ってます。
現環境で毎日フリーマッチを遊んでいるときは基本的に緑の人造人間17号を使い続けているのですが、そこそこの頻度でマッチする緑の新ブロリーBRに対してはそこそこしんどい思いをしながら戦ってます。
先攻だろうが後攻だろうが、デッキ構造的にかなり不利が付いてると認識しながら、でも他の色のデッキに対しての安定感はブロリーBRよりも17号の方がいいからなぁ、と思いながらプレイしています。
だもんで、緑限定のバトルならブロリーBR一択になっちゃいそうなんですが、こういうイベントはやってみないと分からないことがあるかもなので、明日から早速挑戦してみたいところ。
なんていうか、構造的に弱いと分かっているなら、その弱点を補うような構築にすればいいじゃない、と思うのですが、緑のカードプールでブロリーBRの対策をするのってほとんど手段が無いように感じてまして。
「挨拶代わりの一撃」で無理矢理相手のエナジーを増やしてリーダーブロリーBRの効果を不発にさせる、みたいなムーブを狙おうにも、PR版の4コストブロリーや瞬亀でそれなりにケアできちゃうので、なかなか難しいものがあります。
フュージョンワールドのルール上で定義だけされている混色デッキが実現可能な混色リーダーが登場してくれれば、別の色をタッチすることで弱点補強をするような構築の検討もできそうなのですが、なかなか難しいのかなぁ。
既存のカードプールに混色リーダーが登場するだけで環境をそれなりにまぜっかえすことができそうな気もするのですが、今後のバランス調整とかが一層大変になるのは目に見えてるので、なかなか混色リーダーは出てきてくれないのかも。
先日、公式からのアナウンスで現状のあの世悟空のはびこる環境に対しての懸念とも言えるような雰囲気の制限改定をほのめかすコメントがありましたが、是非是非混色リーダーも検討していただけると嬉しいな、と思う一般ユーザーなのでした。
2025年6月2日(月)
後半戦突入
フミと申します。無職になって1788日。
もう2025年の半分が終わってしまったらしいですよ?
フュージョンワールド、前シーズンのご褒美が届きました。

デジタル版のGODランク報酬として配布されたエナジーマーカーの実物カードです。
あんまりカードのイラストとかに興味ない自分でも、これはさすがにカッコいい。
特に効果があるわけでもないエナジーマーカーのようなカードにこだわるのはいまいちピンとこなかったのですが、こうして実物を目にすると、その気持ちも分からなくもないかな、と。
一応市場価格を確認してみたけど、GODランク版で20000円行かないくらいでした。思ったより高額だなぁ。
前シーズンのGODランク到達者が1000人ちょっといたので、概ね1000枚くらい流通してる、というのが根底にあるからこの値段なのかも。
効果がすごい強いレアカード、みたいな意味合いとは違って、ホントにコレクション目的でしかないので、シンプルに流通数とおまけでデザインのカッコよさでお値段が決まるんだろうけど、マスターランク版でも10000円くらいのようなので、そっちも含めて思った以上の相場感。
そして6月の定点観測!
ミックスナッツ2.0kg:3690円 (前月比:-5%)
FRISK スパークリング 30缶:4814円 (前月比:+201%)でした!
FRISKの価格、先月が底値だったんですね。この価格変動は面白い。1か月たらずで3倍くらいお値段の変動があるとは。
季節商品だから6月になって本気を出してきたか、あるいは新フレーバーであるグレープが新登場したことにより、プレーン版も見直されたのか。
家にはまだそこそこ在庫があるので、30缶1600円の時に買っておけばよかった、という気持ちはあるものの、この夏を乗り切れる量はないので、どこかでまた買い足したい気持ちはあれど、でもこうして一度底値を見ちゃうと、その値段までは買いたくなくなっちゃう心理が働きますね。
こういう価格変動の見極めができるようになると、株とかFXとかで儲かるのかも。