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2024年10月30日(水)

圧力鍋はないけれど

フミと申します。無職になって1573日。
基本、ここ数日はゲームしかしてないという表現が妥当ではあるんですが。

そうは言ってもゲームの合間を縫って、図書館に行ったりディスカウントストアに行ったり、と若干のゲーム以外のアクションを挟んでいるので、今日はそんな隙間時間のアクションからネタを拾いつつ。

祝祭日があると多少ズレたりするものの、基本的に隔週火曜日で図書館に行って本を借りてます。
で、その外出のついでにディスカウントストアに寄ってお買い物をしてくるのですが、昨日は豚バラブロックが安売りされてたので久々に買っちゃいました。

おかげで、今日の朝はちょっと寒くて起きるのだるーい、って思ったけど、
「そうだ! 昨日豚バラ買ったじゃん!」
って起き抜けに思い出したことによりすんごい目覚めが良くなりました。

会社で上司に怒られてる時でも、お家で高級肉が待ってることを思えば全然余裕になれるっていうライフハックにちょっと似てる。

でも高級肉じゃなくてもいいの。
普段と違うものであれば、100g100円のお肉だって素敵な力を呼び起こすから。

ということでいつもならフュージョンワールドからすぐリベサガに向かうところを、今日はフュージョンワールドを終えてゲームは一休みして早速豚バラの調理を開始しました。

豚バラの塊を手に入れたら作るのは決まって豚の角煮なのですが、今回は一緒にたまごも煮て甘々煮たまごも作ろうと思い、まずはたまごをゆでながらいそいそと調味料の準備をしてたら、料理酒を切らしていることに気付きました。

お肉を煮込み始める前に気付いてよかったといえばよかったんですが、昨日お買い物してきたのにわざわざ今日も買いに外出するのもなー、と朝からしばし部屋をウロウロしながら考えた結果、「外出めんどくさい精神」を「角煮食べたい精神」が打ち負かしました。

ところで、こういう欲求こそ肉欲って表現するのが本来あるべき日本語なんじゃないかと思うのですが、なぜかね、そうはなってないんですよね。不思議不思議。
Why Japanese people !? (懐かしい)

ということで、たまごをゆで終えたら一旦火を止めて小雨降る中料理酒を求めて近所のスーパーへ買い出しに。

昨日のディスカウントストアで「特売!」って書かれてほうれん草が100円で売ってたのをつい買ってしまったのですが、今日スーパーに行ったら98円で売ってたので、世の中難しいなぁ、と思いました。

厳密には量やら鮮度やらをちゃんと比較しないとどっちがおトクなのか判断付かないハズなのですが、こういうシーンはシンプルに「失敗したかもー」って思っちゃいがち。
そんなことはない、そんなことはないと呟きながら帰宅して、いよいよ角煮調理開始。

圧力鍋がなくったって、時間をかければ通常鍋だってやれるんだ!

豚の角煮 with 煮たまご

豚の角煮はやや甘めが好きです。

ところで、煮たまごってどんだけ煮込んでも表面の色が変わっていく程度で、内側にはそんなに浸透しないけどそれでもいいやと思って作ってるんですが、煮たまごガチ勢の人はどのくらい煮込んでるのかちょっと気になる。

ところで、角煮に限らず煮物系は煮えるのを待つ時間が結構あるので手持ち無沙汰といえばそうなのですが、流石に火を使いながら合間にゲームするのはちょっと気が引けたので、リベサガをプレイしたい気持ちを抑えつつ午前中はおとなしく角煮クッキングに費やしました。

でも代わりにその間、スクエニミュージックのライブストリームでやってたリベサガ発売に合わせたロマサガ2関連楽曲をずっと聴いてました。

ということで、最近リベサガばっかりやってて雑記のネタがあまりないな?
と思っていたのですが、日常パートから捻出しました。

で、急遽角煮クッキングタイムが発生してしまったため、本来今月末にあるハズだった10月分のなんちゃってガトーショコラは来月に引っ越しました。

今年の2月から毎月続いてて、今月でいよいよ最終回となる最後のガトーショコラだったのですが、煮たまごおいしいからね。しょーがないね。

よし。
お昼ご飯も食べ終わったし、そろそろリベサガの続きやるかー。

今日も遊ぶぞー。

2024年10月28日(月)

ナンバリングの罠

フミと申します。無職になって1571日。
リベサガがとっても楽しくて、ここ数日実に幸せ。

先週の木曜日の午前中にゲームが届いて早数日。

この週末の間にさくっとクリアして追加コンテンツを楽しんでる勢もいるようですが、こっちはあんまり進んでない!

というとちょっと言い過ぎですが、プレイ時間の割にあんまり進展してないです。
ツイッタランドのおススメに勝手に出てくるネタバレ呟きを回避する日々。
形は違えどずっと昔にリリースされたゲームに対してネタバレもへったくれもなさそうではありますが、一応ね。一応。

今時点でもう40時間以上プレイしてるので、一日平均8時間。

朝起きてフュージョンワールドを数戦こなした後は、そこからは基本的にご飯食べてリベサガしてお昼寝してリベサガして、みたいな生活になってます。

文字通り「食う・寝る・遊ぶ」を体現してます。

ということで、今日はゲームの小休止というか、ちょっとだけ手を休めてロマンシングサガ2 リベンジオブザセブンの今のところの雑多な感想とかそんなのを書いてみようかと思います。

まずね、何よりもまず思ったのは、原作は昔のゲームではあるんだけど、基本的なところはそれを踏襲しつつも、ちゃんと今っぽいゲームになってるよね?
ということ。

これは単にグラフィックがキレイになってるとかそういう部分だけじゃなくって、戦闘システム周りもアビリティのシステム周りもUI周りも、適度な複雑さを持ちつつも親切設計になってて遊びやすーい、って感じながらプレイしてます。

体験版をプレイした時点である程度は感じていたんですが、製品版ではそれ以上にちゃんと新作ゲームなんだなって思わせてくれる感じになってます。
期待以上にやってくれてる感を味わってます。

PS4版でプレイしているのですが、今年プレイしたサガエメ、聖剣伝説VoMよりもサクサク動いてる感じがするのですが、まあアクションバトルの聖剣と比較するのはアレですが、サガエメと比べても戦闘のテンポが格段に良いです。

戦闘時に行動選択してから戦闘アクションを見てさらに次の行動選択をするまでの一連の流れに全然ストレスがなくって、サガスカやサガエメで感じてた手待ち感みたいなのがほぼ無い感じ。

1ターンの全員分のコマンドを入力するサガスカ、サガエメタイプと、各キャラのコマンドを順次入力するリベサガタイプとでシステム的な差があるにせよ、戦闘時の操作感のストレスが全然感じられないのはありがたい限り。

あと聖剣伝説VoMではマップ切り替えなどの画面切り替え時にその都度結構長めのローディング時間があったのですが、リベサガも多少はあるにせよ、ぱっと見どちらも同じくらいのキレイさ見えるフィールドのハズなんですが、ローディング時間もリベサガに軍配が上がりそうな感じです。

フィールドの広さが聖剣伝説の方が広いからその分時間かかってそう、というのはあるかもなので、これも単純に比較するのは不公平かもですが、リベサガはプレイフィールとして全然耐えられるレベルになってると思います。

おつかい系のイベントであっちの町に行ってこっちの町に行って、みたいなマップ切り替えを繰り返しても、さすがにSFCと比べると負けますが、それでもまあそんなにストレスを感じないくらい。

3D系のゲームってそれなりの読み込み時間があって当たり前だと思っていたのですが、こういうのって結構開発力の見せ所だったりするのかな。

あとね、全体的に親切設計というか、プレイヤーが無駄にがんばらなくていい感じになってるというか、そんな最近のありがたい風潮を感じてます。

一例として、聖剣シリーズのサボテン君探しに相当するせんせい探しがあるのですが、サボテン君と違ってせんせいは結構分かりやすいところにいるというか、フィールドをくまなく探さなきゃ、という意気込みがあまりなくても自然と見つかるようになってる、みたいな。
外部仕様というか、やってることはどっちも全く同じなんですが、比べてみるとプレイ感が結構違います。

せんせいも隠そうとすればいくらでも難しくできるんですが、別にそこは頑張る必要ないよね?
的な作り手側の声が聞こえてくるような。知らんけど。

聖剣伝説ToMのスタッフということである程度信頼してたんですが、その期待以上の出来栄えになってると素人ながら感じてます。べた褒め妖怪。

しゃべる等身大美少女フィギュアに代々心血を注ぐヒラガ一族

コッペちゃんもこの通り等身大美少女フィギュアになったよ!

ロマサガRSをはじめとする別の世界線で既にいろんな姿のコッペリアを見てるのでそこまでインパクトはないものの、しゃべる等身大美少女フィギュアに代々心血を注いでるヒラガ一族を見るとほっこりしますね。

みんな大好き、アリだー!

アリというか、タームが3Dでわらわら出てくるとちょっとグロいというか、もやっとします。

七英雄もそうですが、こんなのと戦ってたのか。
3Dになって押し寄せてこられるとドットとはまた違った怖さがあります。

露出を抑えるという昨今の流れをぶった切る実に漢らしいリベサガ

ネレイドちゃん。
アリがキモい一方、ドットから3Dになってこうしてちゃんとカワイイというかセクシーなのも見られるから、3D様々なんだよなぁ。

ドラクエを始めとする大手タイトルでびゅーぶー吹き荒れてる、所謂露出押さえろ的な世間の風をものともせず、むしろこれでもかー、ってくらい頑張ってる感じがします。
同じスクエニでも随分違うのね。

スクショではメッセージボックスでネレイドちゃんのお胸が隠されてるような配置にたまたまなってるので一層えっちく見えますがそれは気のせいです。

聖剣2のゲームオーバーのフレーズを彷彿とさせる

ネレイドちゃんと似てるような似てないような、そんな踊り子さん方面の一幕。

最初出会った時はフリーファイター女さんの皇帝だったので、踊り子さんとの百合百合しいダンスを見てニヤニヤして終わってたんですが、火山噴火の責任を取らされて辞任した彼女に変わってホーリーオーダー男さんの皇帝がダンスというかおにゃのこをうつつを抜かしてたらこうなりました。

確か受け継がせる方と受け継ぐ方がお互い強い意志を持たないと伝承法が成り立たなかったハズなので、個人的にはここで伝承法が途切れてるんじゃないかと思うのですが、どうなんでしょ。

ギャルゲーのバッドエンド感がスゴイです。
先帝の無念って、そういうコトぉ?

リベサガに先立って実装されてたロマサガRSの踊り子さんの紹介文

リベサガのリリースに先立って実装されてたロマサガRS版の踊り子さんの紹介文。

なんかテンプテーションくらってなぁい?

ロマサガRS版の踊り子さん

リベサガのゲーム内でもホントにこんな感じで踊ってました。
かあいい。

とまあ、こんな感じでまだクリアしてないにも関わらず、早くも2周目を遊びたくなってます。

なんか他にも言いたいことというか褒めちぎりたいことはまだまだいろいろあるんですが、総じて事前の期待以上に良くて素敵ね、という感じです。

ところで、ロマンシングサガシリーズは、というかサガシリーズは総じて1と2と3とナンバリングが振られててもその世界観は別につながってなくてシステム含め別のゲームであることも多いのですが、仮にこれでリベサガから新しく入った人が、じゃあ作中で語られてる昔の七英雄がロマサガ1では活躍するのね!
ってなったりしないかなー、とかどうでもいいことを思いました。

ロマサガ1なりミンサガなりでマルディアスを旅しても別にそこに七英雄はいないんだよなぁ。

逆にオープニングの曲調がほぼほぼロマサガ2のそれと一緒なロマサガ3の世界をどんだけ探しても七英雄や皇帝の面影は見当たらないという。

でもまあ、そんなこと言ったらドラクエはともかくFFだってそうか。
ナンバリングってなんなんだろう。

リベサガが話題になってサガシリーズ未プレイ勢さんの耳に入った時に「面白そうだけど、1やってないからなぁ」みたいな人にもちゃんと訴求しないと!

ただでさえ「ヘンに難しいRPG」みたいな印象が強いサガシリーズなんだし。

でも今のところ難しさみたいなのはあんまりないというか、どちらかというと遊びやすいよー、って感じだぞ!
と強く主張しておきます。

とてもダイレクトマーケティングでございます。

2024年10月24日(木)

きちゃ!

フミと申します。無職になって1567日。
今日は朝から元気いっぱい。

午前5時台に起床して、そこから朝のお散歩がてらお買い物を済ませ、帰宅してお風呂と洗濯を済ませ、ついでにカボチャも煮ました。

その後日課のフュージョンワールドの対戦もこなして、午前10時になろうかというタイミングで、ついに、ついに!

今年買ったゲームたちとカボチャ

リベサガ!

もとい、ロマンシングサガ2 リベンジオブザセブン!

思ってたよりめっちゃ早く届いた!
でもこっちの受け入れ態勢も万全なのです。
クロネコのおにーさん、ありがとう!

もろもろ雑事も済ませたし、食べ物も飲み物も準備OKだし、もう今日はゲームしかしないんだ!

至福のひと時、開始ー。

2024年10月23日(水)

そわそわ前夜

フミと申します。無職になって1566日。
いくつになってもゲーム発売日前はソワソワしちゃう勢です。

と言いつつ、ついさっきまで発売日を明日じゃなくて明後日と勘違いしてました。
なので急にソワソワしたような感じでございます。

ということでね、リベサガこと、ロマンシングサガ2 リベンジオブザセブンが明日発売です。
旧Twitter現Xだとロマサガ2リメイクとかロマサガ2RとかRS2Rとかそんな感じの略称をちらほら見かけますが、ロマサガ1のリメイクのミンストレルソングをミンサガって呼称してきた伝統に従うなら、どう考えても今回の新作は「リベサガ」一択な気がするんですよ。

今回もパッケージ版を予約したので、明日のどこかのタイミングで届けてもらえるハズ。
宅配屋さん、応援してます!

新作ゲーム購入直後は隙あらばゲームゲームみたいな感じの生活スタイルになっちゃうのが目に見えてるので、携帯食料とか飲み物とかを明日の朝のうちに買い出しに行ってもいいな、とか考えてます。

先日作ったハヤシライスは残り1食分を冷蔵庫に残してあらかた消費しましたが、なんとなく買ってしまったカボチャ1個がまるごと残ってるので、それもやっぱり明日の午前中に調理しちゃおうかな。

あとは今月分のなんちゃってガトーショコラをまだ作ってないのですが、それは来週の月末ギリギリくらいになれば、ここらでちょっとゲームも一休み、みたいな気持ちになるかもだから、そのタイミングを狙ってます。

尚、今日は今日で時間かかる系ご飯であるところのたこ焼きを食べました。
まあ、相変わらずタコは入ってないんですが。

こないだタコ入りたこ焼きを食べてしまったのでもうタコ無したこ焼きには戻れないかというと、全然そんなこともなくって相変わらず代役のウインナーさんもちゃんとおいしいです。

炎たこさんも仕事がんばってます。

では明日はクロネコさんに頑張ってもらおうか!
午前中、午前中だと嬉しいな!

でも安全運転でおにゃしゃす!

2024年10月21日(月)

お年寄マインド

フミと申します。無職になって1564日。
クローゼットから秋物の服を引っ張り出しました。今日から秋ということにします。

菓子パンについてた点数シールを集めて応募はがきに貼って、でも切手が無いから近くの郵便局へお散歩がてら行ってきました。

日は出てるけど暑すぎもせず寒すぎもせずいい日和だなー、と思いのび~ってしながら家を出てすぐの道路を歩き始めたら、向かいからとことこ歩いてきたおばあちゃまがすれ違う際に
「歩きながらストレッチ? ふふふ」
って話しかけてくれました。

咄嗟に適切な返答が思いつかなかったので「いい天気ですねー」という必殺の天気デッキでも持ちだそうかと思いましたが、それはそれで会話になってないなー、と逡巡した結果、にっこり笑い返して会釈するという無難なリアクションになっちゃいました。

会社やお仕事で求められるコミュニケーション能力とはまた違うベクトルの、日常的に発生する見ず知らずの人との会話をソツなくこなすためのコミュニケーション能力がちょっと欲しいと思う今日この頃。

昨今では見知らぬ大人が子どもに話しかけようものなら男女問わずすぐさま事案になりそうな世知辛い世の中ですが、ご高齢の方って比較的この手のコミュニケーション能力に長けているというか、決して頻繁というわけではないものの、そこそこの頻度で話しかけられるような気がします。

友人知人相手ならいざ知らず、通りすがりの見ず知らずの他人に話しかける勇気というか、そもそも話しかけようとする動機のようなものがあまり無いのですが、もう少し人生経験を積むと世界の見え方が今とはまた変わってくるのかも。

昭和を少し前の時代、と呼ぶのが適切なのかどうかちょっと分かりませんが、その当時はご近所コミュニティが広くて曖昧というか、今と比べると個の概念が希薄というか、大雑把でおおらかな感じの世界だったりして、そういう世界では近くに住んでいるであろう他人が今でいうところの他人ともまたちょっと違う距離感の他人という扱いだったのかもしれないし、もしそうだとすると上述のおばあちゃまのマインドというのは長年の人生経験によるものというよりは、昔の名残に起因するものということになるので、その場合は仮に自分が高齢になったとしても世界の見え方は別段今と変わらないのかもしれないです。

あるいは、自分は滅多にしないので勝手なイメージなのですが、ハイキング中にすれ違う場合は見知らぬ人同士でも挨拶する、みたいな印象があるので、ご高齢になると心が日々ハイキングモードになっている、という可能性もあったりしませんかね。

あるいはあるいは、もう年齢とかに起因するものじゃなくって、むしろ個体差というか個人差によるもの、という可能性もなくもないのですが、でもそれだったらもっと若者も同じようなアクションをとって然るべきだけど、実際にはそんなこともないので、やっぱりご高齢の方特有の何かがあるんじゃないかと思うのですが真相は不明なまま。

とまあ、そんなことをもにゃもにゃ考えながら郵便局に向かいまして、切手代を払ってお祈りしながら懸賞ハガキを局員さんに渡しました。
今はハガキの料金は85円なんですって。

ハガキというと41円とか50円とかのイメージが強いのでそれと比べると割高に見えちゃいますが、全国どこでも100円しないで運んでくれるってのはなかなかスゴイサービスではあるよなぁ、とも思うのでこれはこれでやむなし感。

郵便業務の対価という観点ではそんな感じのある種の納得感はあるんですが、懸賞ハガキというシステムをユーザの立場から見た時の感触はまたちょっと違って、点数シールを集める部分はさておいて、それをハガキとして郵送するためのコストが以前の2倍とかになってると思うと、賞品の豪華さや当選確率が2倍になってくれないとなんだかなぁ、という気持ちになっちゃいます。

なので今じゃネット経由で当落がすぐ分かるようなキャンペーンを展開しているケースも多々あるし、郵送コストを気にするならそっちをどうぞ、という話ではあるのですが、この令和の世でも点数シールだったり商品のバーコードだったりを集めて貼付するタイプも根強く残ってますね。

おそらく時代の流れとともに消えてしまう方向の文化だとは思うのですが、それが何年後くらいに消えちゃうのか、予想するのはなかなか難しいです。

多分10年後の春もきっと平然と春のパン祭りをやってるような気がするんだよなぁ。

でも30年後、50年後はどうだろう。
どこまでがデジタルちっくなものに置き換わってるのかにもよるけど、たとえば2050年に点数シールやバーコードを集める懸賞システムが生き残ってるかどうかはちょっと気になるポイントではあるなぁ。

技術革新による文明の発展という観点での前向きな未来予想も楽しいですが、それの裏側というか、既存のシステムがどのくらい淘汰されてしまうのか、というちょっと後ろ向きな未来予想もそれはそれで興味深いところではあります。

最後に、今日のお買い物。

秋の味覚

ぐふふ、どう料理してくれようか!

1/4とか1/2の大きさにカットされたものを買うことはしばしばありますが、まるごと1個を買うのは結構珍しいです。

焼き肉のお供に一緒に焼いたり、ちょっとこじゃれた人はポタージュスープにしたり、と用途は様々なかぼちゃくんですが、個人的には甘じょっぱい煮物が好き。

なのでこのかぼちゃくんの行く末は、写真の通りの煮物になる予定。

料理の手順やレシピはネットにいくらでも転がってるので、このご時世わざわざお料理本を買う必要もないのは分かってるのですが、でもだからこそ逆に1冊くらいお家にあってもよくない?
という発想で6年くらい前に本屋さんで買った土井先生の家庭料理の本は今でも現役バリバリです。

本という物理的な媒体はもしかすると淘汰されて完全に電子化された状態に取って代わられてるかもですが、料理本の内容自体はよっぽどのことが無い限り時代が進んでも陳腐化しないと思うので、多分こういうお料理レシピは30年後も50年後もきっと同じような内容が残り続けるのかも。

2024年10月20日(日)

満腹幸福 略して「ぷくふく」

フミと申します。無職になって1563日。
ハヤシライス。牛肉派が主流だと思うけど豚肉で作ってもちゃんとおいしいのです。

ゆっくり炒めたたまねぎとお肉をお鍋で煮込んで、ハヤシライスのルゥを入れてひと煮込みすればもう出来上がり。
簡単なのにちょーおいしいステキ食べ物、ハヤシライス。

おいしいからついついご飯を盛り過ぎちゃって、でもペロリと食べてしまって後になってお腹いたくなってうーうー呻くまでがワンセット。

でもこういう苦しみの中に満腹による幸福感を感じてしまうのが人間の悲しい性。
ビバ飽食の時代。

たまに食べるような高級食材を使ったちょっとステキでおしゃんな料理もいいけど、雑多なフツーの材料でできるフツーの料理もちゃんとおいしいってのがなんともステキ。
秋という季節も幸福感の増加に一役買ってるのかもしれない。

ところで、今日は比較的近所に住んでる元同僚の友達と会って軽くお茶をしたのですが、最近ちょっと高級な腕時計を買ったそうで、さっそく現物を拝ませてもらいました。

7桁円する腕時計っていうと一般的な感覚として「高級腕時計」って呼んで十分差し支えないと思うのですが、自分の身の回りのものを見まわしてみても7桁円するものってなかなかないかも。

テレビとか白物家電とかパソコンとか携帯端末とかは5-6桁円しそうですがお家とか車とか保険とかそういう高そうなアイテムを所有してないので、高級腕時計は自分にとっても十分すぎるほど高級アイテムではあるんですが、それこそ1万円しない腕時計でも見た目的にも機能的にも十分素敵なものが多いと個人的に思ってるので自分で高級腕時計を買ったりすることはなさそうだなー、と。

でもそういうお高いアイテムを買うことで得られる高揚感とか満足感みたいなのってはある程度理解できるので、そこに一定の価値を見出せるなら十分アリなお買い物なんじゃないかと思いました。

その友達はご夫婦で共働きではあるものの芸能人とかスポーツ選手のようなスペシャルな職業ではなくごくごくフツーの一般人なのですが、そういう人だからこそちょっとした高級アイテムを装備した時の精神的効果は大きいのかも、なんて思ったり。

しかしながら、お茶をしながら物欲というか最近欲しいものってなんだろう、みたいなことをふと考えたのですが、即座にこれ! ってのが思い浮かばず。

そりゃ食べ物のような生活必需品は当然買うし、嗜好品娯楽品であるところのゲームもちょいちょい買うし、なんなら新しいパソコンが欲しいなー、とか思ったりもするので物欲が無いワケじゃないのですが、なんかそういうお買い物リスト欲しいものリストとはまた別で、なんていうか、結婚式の引き出物でもらえるカタログギフトのように「本来的に自分が欲しいとは全然思ってないんだけど、なんかもらえるんならもらってそれなりに喜んじゃう系アイテム」を一つ二つイメージしておくと日々のプチ目標というかがんばりマインドのきっかけになったりするかも、と。

無いなら無いで別段全然いいんだけど、あったら、もらえたら嬉しいな、的な立ち位置のアイテム。

そんな温度感のものが無いかなー、と考えてみたところ、今々思いついたのは「圧力鍋」でした。

無きゃ無いで全然困ってないのですが、もしあったら豚の角煮を今より簡単に作れそう、みたいな発想。

年に数えるほどしか角煮を作ってないので、強がりとかではなくホントに無くても全然困ってないワケです。
でもあったらちょっと嬉しいかも? みたいな。

あるいは、先日のたこ焼き器入手からのたこ焼きの頻度を鑑みると、もし圧力鍋を手に入れたらそれこそ半月に1回とかの頻度で角煮を作り続ける生活になったりするのかな。
それはそれでカロリー的な意味でちょっと怖いかも。

神龍への願い事をする機会はないにしても、七夕の短冊やお正月の神社での絵馬に願い事を書く文化はあるハズなので、そういう時に熟考せずにさらりとかける程度の願い事は普段から思い描いていてもいいのかもなぁ、なんてなことを友達の腕に装着された高級腕時計を見ながら思ったりしたのでした。

2024年10月17日(木)

モダンとクラシック

フミと申します。無職になって1560日。
今朝のお散歩がてらの買い出しのお会計はぴったり1000円でした。

牛乳、割引イングリッシュマフィン(賞味期限近い)、割引コッペパン(賞味期限近い)、玉ねぎ、紅しょうが、ハヤシライスのルゥ。
以上6点で1000円になります。

こないだディスカウントストアに行った時またもジャガイモが安くて1kgほど買ってきたので、またも肉じゃが作り過ぎちゃったイベントを一人でやろうと思ったのですが、玉ねぎが1個しか残ってなかったので買い足そうと思いまして。
その際、ふと目に入ったのがカレーとかシチューとかハヤシライスとかのルゥのコーナー。
肉じゃがに使ってもまだ少しお肉が余りそうだし、ここいらで久しぶりにハヤシライスでも作ろうかな、という気持ちになりました。

どのくらい久しぶりかというと、多分数年振りなような。
少なくとも無職になってからは作ってないと思うので、4、5年以上は経過してそう。

ルゥをひと箱で8皿分、と一応書かれてますが、イメージ的にはお鍋にいっぱいに作ってまるっと二日くらいで食べるイメージ。

連日同じメニューで飽きない?
というご意見もあるかもですが、ハヤシライスはおいしいですからね。

毎食ステーキ、とかだとちょっと胃もたれするかもですが、ハヤシライスはカレー以上に飲み物っぽいしなぁ。

なんて感じでまだ作ってもないハヤシライスに心ときめかせているのですが、今日、明日は肉じゃがにお鍋が占拠されてるので週末かなー。
少しでも劣化を防ぐために残ったお肉は冷凍しておこう。

秋になると食べ物が一層おいしく感じられるような気がして、それは実はとても気のせいかもしれないんですが、まあ大変いいことであります。

できれば「焼きサンマ with 大根おろし」みたいな秋の味覚も楽しみたいところなんですが、昨今は大衆魚のハズのサンマもそこそこのお値段になってるからなぁ。

以前は安売りの日に1匹10円で買えた記憶がー、と思って過去の家計簿エクセルを確認したところ、ありましたありました。
2009年5月26日、当時住んでたところの近所のスーパーでサンマ1匹10円で買ってました。

なお、同じにたまご10個パックを59円で買ってる模様。

うーん。物価上昇ってことぉ?

全般的に値上がりしてるようには見えるけど、でも1.5リットルのジュースの値段は当時も今も大して変わってないしなぁ。

にしても、ライフログすげー。
15年前の購入記録が残ってるよー。

日記みたいにあれをした、これをしたってのは分からないけど、何を買った、という記録が残ってるので結構思い出したりできるのかも。

そして当時はちゃんと働いてた、というか働き始めて間もないころだったと思うけど、お給料という定期的な入金が項目に残ってます。すばらすばら。
当時の自分がお金を稼いでくれてたおかげで、今こうして生きていられます。
ありがたやありがたや。

ところで。

自分は音楽関係に疎いというか、小さいころにピアノなどの音楽系の教室に通ったこともなければ、部活などでも全く音楽に触れてこない生活を送っていたので、音楽関連の知識の流入源は基本的に学校の音楽の授業しかないのですが、そんな自分も年に1回とかそんな低頻度ながらふとクラシック音楽を聴きたくなったりするのです。

といっても別にコンサートに行こうとかそんな話じゃなくって、ネット上でいくらでも聴けるんですが、そんなにわか素人がふと聴きたくなる曲目リストを挙げてみます。
でもどんな曲か表現することができないので、なんとなく伝わるかもしれないメモを添えて。

:ハンガリー舞曲第5番 (ブラームス)
たーたたーたたー たたたー。
昔、さけるチーズのCMで流れてたハズ。

:トルコ行進曲 (モーツァルト)
たららららん たららららん たららら たららら たららら らん。
NHKで二人のお姉さまがアカペラっぽく歌ってた印象が強いです。

:クシコス・ポスト (ネッケ)
くにおくんの大運動会でおなじみのあれ。
あるいは、エアーパワーでランナーが動くおもちゃのCM。

:天国と地獄 (オッフェンバック)
多分運動会の楽曲として全国的に使用率ナンバーワンの曲。

:ウィリアム・テル序曲 (ロッシーニ)
極パロでニワトリ?に追いかけられるイメージ。
チョコボールのCMでも使われてたような気がする。

:剣の舞 (ハチャトゥリアン)
出だしのところしか知らないけどなんか速そう。(小並感)

:ピアノ五重奏曲 第4楽章 (シューベルト)
ます。哀れ悲しきますの姿。
シューベルトで歌詞付きというと魔王が圧倒的に大人気なんですが、個人的にはこっちのが好き。

:交響曲第9番 新世界より (ドヴォルザーク)
第2楽章は下校、閉店の時間のイメージ。お家へ帰りたくなるやつ。
第4楽章も何かのCMで流れてたハズなんだけど忘れました。

とまあ、なんかね、多分日常生活でなにげなーく耳にしたりする曲が多いと思うのですが、曲の意味も意図も全く分からないながら、その昔に異国で作られた曲をただただその音が心地よいというだけで今日こうやってまだ聴きたいと思うあたり、流石は名曲ということなのかも。

昨今の音楽業界に詳しくないのでさっぱり分からないのですが、今21世紀に作曲された曲が古典と呼ばれるようになるころ、もしかすると同じようにどこか異国で聴かれたりするのかなぁ。

音楽作品のみならず文学作品とかその他もろもろ、どのくらい時間が経つと「今の作品」から「古典作品」になるんだろう。

文学で古典っていうと春はあけぼのってくらい昔な気もするけど、音楽だと200年300年くらいでも古典っぽくなる気もするし、ジャンルよりけりなのかな。

もしかするとインベーダーゲームやテトリスみたいなものの数十年後には古典ゲームって扱いになってたりするのかもねー。

2024年10月15日(火)

ゲームの隙間週間

フミと申します。無職になって1558日。
今日は夜まで暑い。10月半ばで秋真っただ中でも汗だくデー。

こないだの週末はフュージョンワールドデジタル版の予選が夜中から明け方にかけて二日連続で予定されてたのに加えて、合間にストリートファイターの大会の配信を見たりなんだりで結構生活リズムがてんてこまいまい。

昨日今日でちょっとずつ整えて大分回復してきましたが、やっぱり規則正しい睡眠は健康の観点で大切よね。

ということで、まず最初はドラゴンボールの話題。
フュージョンワールドデジタル版の予選が終わりました。

200名くらいのエントリーで深夜に開催されたのですが、開始時点で15%くらいドロップしてたので実際はもう少し絞られてました。

こちらの使用デッキは地球人造タイプの緑17号。

結論としては全7戦やって4-3で終了、というなんともかんともな結果で、個人的な目標だった50位以内というのもギリギリ届かない低OMW%だったので、ちょっと残念。

深夜帯開催ということもあってか、不戦勝も含めてこの戦績なので実質的には負け越しのようなものではあるのですが、序盤に負けこんじゃうと退席したくなる気持ちは分からないでもないです。
でも土曜日の東京大会の上位宅の配信も見たり、アニメDAIMAを見たりで、フュージョンワールドのゲームへのモチベーションもなかなかどうして上昇中。

なんだかんだで練度の差が結果の差に表れてる気がするので、朝にプレイする時間をもう少し増やしてもいいかなー、と思ったり。

そもそも普段のランクマッチの勝率的にも、この予選大会に出場するための予選会で5-0で勝ち切れたことが上振れだったのは間違いないので、そういう意味では今回4-3で終えられたのもあながち悪い結果でもないんですが、もうちょっと練度を高くできれば6-1は難しくても5-2は狙えそうな感じだったので、要練習ってことなのかも。
のびしろ、のびしろ。

一方、新作アニメのドラゴンボールDAIMAですが、作画とか演出はなんかすっごいいい感じに見えましたが、世間様の反応も上々なんじゃないでしょうか。
数か月前に原作コミックを読んだこともあってか、「あ、この構図見たことある!」っていう感じのシーンをふんだんに取り入れる形で原作終盤の振り返りをキレイな作画でやってくれてた感じ。

ただ、ベテラン声優陣の演技がちょっと気になるというか、個人的にフュージョンワールドのゲーム内で聞いてる分には全然違和感が無かったんですが、アニメ版の演技を久しぶりに聞いたところ悟空たちレジェンドがちょっと無理してそうな印象だったので、今後ちびっこくなってどんな感じになるのか気になります。

話は変わって。

聖剣伝説VoMのベリーハードもクリアして、リベサガ発売まであと10日くらい、という絶妙な隙間状態であることと、この週末ストリートファイターの配信者大会やアメリカのECT24の配信を見たこともあって、今日は数か月ぶりにギルティギアを起動しました。

PSPlusが切れたままなのでネット対戦はしなかったものの、久々にトレモで小一時間ほどカイを動かしてみました。

もともとそんなに器用に動かせてたわけじゃないけど、しばらく触ってなくても思いのほか操作を忘れてなくて意外でした。

勿論対戦ゲームなのでネット対戦が楽しいとは思うのですが、ゲーム内機能としてもコンボのサンプルレシピ検索があるし、何よりネットで探せばそれなりに出てくるのでそれらを練習してみるのも結構楽しいです。

また来週末からはリベサガにプレイ時間を持ってかれると思うと向こう1週間のためにPSPlusに加入するというのもなんかもったいないので、ここはリハビリも兼ねてちまちまトレモをやる日々にしようかと思います。

毎日のようにプレイしても楽しいけど、久々に触るとそれはそれで一層楽しい。

でもこれがプロシーンとなるとまた話は別で、楽しいだけじゃやってられなかったりするんだろうなぁ、と思うとなんとも不思議な話です。

好きなことで生きていくって、聞こえはいいしうらやましがられる側面もあると思うけど、結構大変だよなぁ、と無職は無職なりに思ったりするのでした。

2024年10月11日(金)

楽しく算数おもちゃ箱

フミと申します。無職になって1554日。
低頻度ながら少しずつ朝のお散歩が習慣になってきてます。

10月11日という日付を見てふと気付いたのは、1011っていう数を2進数として捉えると、なんと10進数で11に相当するじゃん!
ってこと。

月日(2進数) = 日(10進数)

となる結構レアな日なのか?
と思ったけど、なんなら昨日も該当するんですね。

まあそれでもレアには違いない。

月日のいずれも2進数で表現可能な日付となると結構限られちゃうけど、10月11日という日付のように

月日(n進数) = 日(10進数)

となるようなnとその日付を組み合わせを全て書き出しなさい、みたいな感じの問題なら、中学生ならそこそこいけるだろうし、なんなら気の利いた小学生でもクリアできそうだなー、という感触。

そもそも1年間の日付は高々365あるいは366種類しかなく、このくらいなら人力でも全通りチェックできるので力業でクリア可能だし。

こういう日常に潜むパズルちっくな算数や数学っぽいのはちょっと好き。

力業系の数学といえば、ちょっと前に読んだ本に書かれてなるほどー、と思った問題に下のようなのがありました。

・17^13
・31^9

2つの数はどっちの方が大きいですか? というシンプルな問題。
なお「^」は累乗を意味します。

本に記載されてた内容として、指数部分の数字がホントにこの数だったかはちょっと記憶が曖昧ですが、なんかいずれの底も指数も奇数で構成されてた気がします。

これもある種力業で解けなくもないレベルなんだけど、そこそこの桁数の掛け算になって正しく手計算できるか不安。

結論としては17^13のほうが大きくて、なんなら31^9じゃなくて31^10が相手でもまだ17^13の方が大きいくらいなんですが、こういうのをすいすいーっと解ける頭脳を持ってるのはちょっとかっこいいです。

問題の質はちょっと違うものの、金田一少年の事件簿ではじめちゃんが偽金貨計測回数の問題をさらりと解いてたシーンみたいなやつ。
ああいうのカッコいいよね。

ところでところで。

あと数時間でドラゴンボールの新作アニメのDAIMAが放送されますね。
せっかくだし今日はリアルタイムで視聴しようかな。わくわく。

明日は明日で久しぶりにフュージョンワールドの紙の大会の生配信もあるようなので、そっちはそっちで見てみようかな。

同じ時間帯でデジタル版のグループAの大会予選も進行してて、夜組のグループB参加者はその結果を見てからデッキリストを更新することもできるんだよなぁ。

そういう意味ではグループAとグループBは単に開催時間帯の差だけじゃなくって、ある種のデッキの環境メタ読みの回り方が違ったりするのかな。あるいは誤差?

環境初期にはいなかったか、少なくともあまり知られていなかったミスター17号もとい地球人造みたいな感じのデッキタイプがあっという間に知れ渡ってデジタル版の対戦でも散見されるあたり、SNS発達前後でカードゲーム環境って様変わりしてるよなぁ、と。

自分も少し前から地球人造タイプを使ってみてはいますが、50枚オーバーのメインデッキ内にサーチ対象が15枚程度しかないにも関わらず平然と20号を使ってる構築はどうにも納得がいかなかったので、あーでもないこーでもないと微調整を繰り返しながら日々勝って負けてを繰り返してます。

明日の生配信ですんごいキョーミ深いデッキを見られたら話は変わるかもですが、何もなければ自分は緑で参加するつもりです。

グループBは参加者が200人いて最終予選に進めるのはその中の16位までということなので、しかも参加してる人たちが野良バトルの人たちより練度が相応に高いことも踏まえるとさすがにここを突破するのは現状の練度的に難しいなぁ、と思っているので、個人的な目標としては一段階下の50位以内を目指すくらいの心持ちで臨みます。

あとは夜中というか深夜から明け方にかけてきっちり頭をスッキリさせておくのも大事なポイントかも。
どこかで仮眠して覚醒時間の調整をしたっていいしね。

でも野良試合で平気で3連敗4連敗するくらいだし、そもそも勝率的に6割前後だと、冷静に考えてかなり上振れしないとこういう大会で勝つのは難しいんだよなぁ。

フュージョンワールドって当初思ってたよりも運要素が控えめで、逆にデッキ相性差はかなり強めで、その上でそこそこプレイングスキルが反映されやすいゲームだな、という印象です。

なので、ちゃんと勝てる人は勝てるし、そうでない人はなかなか勝てないし、という感じで、自分はどちらかというと後者より。
ということは逆にのびしろですねぇ、という話ではあるので、今回の予選が終わってもまた日々練習しよー、という意気込みはあれど、それはそうともうすぐリベサガが来ちゃうんだよなぁ。
あと2週間かー。

聖剣伝説VoMの2周目のクリアは一応間に合う感じだったけど、思った以上にゲームとゲームの隙間の無い生活。

サガエメ → 聖剣伝説VoM → リベサガ

まだ今年は2か月半残ってはいるけど、ゲーム的な意味でとても充実した一年だったと言えそう。

なお、まるっと2か月くらいギルティギアに触れてないのもそろそろ気がかりになってきたので、VoMとリベサガの隙間を使ってオフラインでトレモに触っておこう作戦をひそかに計画中。

PS4でパッケージ版を買うと見た目にゲーム買ったぞ感が出るのが嬉しい反面、ゲームの切り替え時にディスクを抜き差しする手間があるのがやっぱりやっぱりなんで、やはりギルティギアだけでもSteam移行を考えないとなのかー?

2か月前にもそう考えてつよつよニューPCを買いたい気持ちが芽生えたものの、未だにPCを買うに至らず、お買い物ゲージのチャージ量が今40%くらい。
少なくとも今年いっぱいはまだ買えないかなー感。

でも最近PCの起動時間も結構もっさりしてきるように感じるし来年には買いたいなー。
あるいは、サンタさんがうっかりうちに新品のPCを持ってきてくれるのを希望します。

2024年10月8日(火)

怪文書垂れ流し

フミと申します。無職になって1551日。
昨日は朝から晩まで汗だく地獄でした。

昨日は夜になっても暑くて室内にいても汗が流れるくらいだったので10月だけどフツーにエアコンを使いたいところだったのですが、前回の雑記の最初にしょーもない宣言をしてしまった手前、
「さすがにここで使うわけには…」
という意地をなんとか通して汗だくで一日を過ごしました。

こういうのはさ、何か崇高な意志とかそういうのがあれば守るのも納得ですが、特に意味も意義もなく自分の行動を縛るのは我ながら謎過ぎんか、というね。

今日は随分涼しい一日で、日々の寒暖差による季節の変わり目アタックを受けそうですが、こういうタイミングで体調を崩さないように気を付けたいところです。

ゲームの話その1。

聖剣伝説 VISIONS of MANA。
先月1周目をクリアしてからしばらく経ちましたが、ベリーハードで始めた2周目を今日クリアしました。

2周目なのにそこそこ時間かかってます

2周目は会話もちょいちょいスキップ気味にプレイしてたんですが、ハードモードでプレイした1周目よりも戦闘に時間がかかることが多かったので、プレイ時間はそこまで減らず50時間超でのクリアとなりました。

1周目を終えた際には、あまり活躍させられなかったパルミナを2周目で使おうかな、なんて思ってたのですが、ベリーハードモードを攻略する都合上、最初から最後までヴァル、カリナ、モートレアで進んじゃいました。
パルミナもジュリもEPを全く振り分けもせず、一度も戦闘に参加することなく終わってしまいました。

ベリーハードモードの印象としては、最序盤の立ち回りがとにかく大変で、そこらへんの雑魚敵を狩るのも毎回必死にならないといけないのでレベル上げするのも一苦労、特に空中に浮遊してる敵は倒すのが特に大変、というマゾゲーかと思っていたのですが、レベル上げが捗る中盤以降はハードモードとそう大差ないプレイ感に落ち着くというか、ハードモードと同じようなガチャプレイでも問題なく進められるようになってました。

精霊器が揃ってからは、特別な事情が無い限りは
モートレア(月)
カリナ(風)
ヴァル(光)
という感じでパーティを構成してました。

1周目ではジンブーメランによる拘束を主体にキャラを操作してたのですが、2周目でルナスフィアの時間停止が抜けて強すぎることに気付いて、そこに高速の連撃をほぼクリティカルで叩きこむモートレアのスキルも相まって、ずーっとモートレアでシュパシュパ切り刻む日々を送ってました。

2周目はサボテン君を逐次確保しながら進めていったので、1周目に比べると経験値ボーナスも随分早い段階で受けられたこともあり、中盤以降はベリーハードモードだけど戦闘が苦にならない感じで、1周目とそんなに差がないのでは、と思いながら進めてました。

なお、2周目では適宜攻略サイトの情報も参照しながら進めていたのですが、1周目で見逃してたサイドクエストが1個だけあったので、そこだけはほんのちょっと新鮮でした。

1周目で唯一スルーしてたサイドクエスト

これが1周目で抜けてたイベント。
イベントアイコンが町の中のさらに建物の中に入らないと視認できなかったのが、1周目で抜けてしまった原因。

そういえばサボテン君も1個だけ見つからなかったっけ。

逆に初見プレイで攻略情報なしでも、ほぼほぼすべてのサイドクエストを網羅できる程度に、今回の聖剣伝説は親切設計になってた、とも言えそうです。

どうやらリベサガでもサボテン君と同じ感じでせんせいを探し集めるような遊びが用意されてるようなので、また来月というか今月末からも同じようにフィールドをぐるぐる歩き回ることになりそうです。

昔はゲームのパッケージ内にハガキが入っててゲームの感想を送ることができましたが、昨今ではそんな古の文化はなくなり、というかそもそもパッケージじゃなくてダウンロード販売のがメジャーだったりするくらいなのですが、それでもちゃんとゲームのフィードバックの窓口が用意されてて、聖剣伝説 VISIONS of MANAに関しては今度の日曜までに回答できるフォームがあるので、こんだけ遊んだんだしちゃんと回答しておこうと思います。

ただ、自由回答欄に500字のコメントをスマホで入力するのはさすがに大変なので、ゆっくりパソコンで下書きしてから回答しようと思います。

まだ推敲できてないしとても個人的な感想ではあるんですが、今回の聖剣伝説のストーリーというか世界観というか生死観がどこまで一般受けするのかはちょっと気になるところです。

なんていうか、少なくとも今の日本の一般的な感覚だと、オープニングのオーリンの考え方や、中盤のプサルの思想の方が納得感があるというかなんというか、逆にヴァルをはじめとする主要キャラやクィ・ディール世界全体の標準マインドが、プレイヤーのマインドとズレてそうなままゲームがずっと続くので、そこの部分で変にストレスがないものかな、という感じです。

クィ・ディールの標準的な世界観がある種の共産主義志向の強いものであればある程度納得もできそうだったのですが、自由都市ツァルタというある種の共産主義を体現するような町が主人公たちの目に奇異に映っていたことから、クィ・ディールの標準的な感覚はそうではない、ということが読み取れるのですが、それが逆にプレイヤー目線で違和感が増える感じになってました。

聖剣2や3ではマナの女神像という形で具現化されているものがありましたが、VoMではそういった形でマナを尊ぶ方向性のある宗教的な要素が直接的には描写されておらず、せいぜいエリスタニアのような都市にウンディーネの像があるくらいだったと思うので、クィ・ディールの人々の間でどうして御子を捧げるという風習が受け入れられているのかが最後まで分からずじまいでした。

LEGEND of MANAの草人のような、個と全の境界が曖昧なマインドを人々が持っているならある程度理解できるので、作中の草人であるジュリの登場時のような意識を人々が持ってればギリギリ納得感もあるかもなのですが、むしろジュリ自身も物語が進むにつれて本来の草人的マインドとは反対方向の意識が芽生えてるし、じゃあ周囲にいるヴァル達の根底にあるマインドってどういうものなんだろう、という。

古今東西問わず、相手が自然なのか神なのか怪物なのかはさておき、人の力では如何ともしがたい脅威に対して生贄を捧げる風習がある、というのはよくある話なのでそれ自体は全然いいのですが、その生贄となることが善であり名誉であり正義である、と周囲はおろか生贄本人もそう信じているところが最大のポイントです。

ありがちなのは、ホントは生贄になんかなりたくないけど、世のため人のためそう言わざるを得ない状況にさせられてて、そうじゃないと村八分にあっちゃうから、みたいなイヤイヤ生贄ストーリーですが、「みんなのために生贄になれてハッピー」というスタンスを至極当然のものとして誰もが平然と受け入れてる世界、というのが納得性が低く映るのです。

プサルのようなそれに反する思想の者からその点を指摘されても主人公たちがこの思想を曲げない根拠って一体何なんだろう、と考えた時に、例えばクィ・ディールにおけるマナの循環を至上のものと誰も彼も信じてるから、みたいなのだとすると、もっと世界の人々が崇高で特殊な宗教団体員のような感じになってるべきだと思うけど、実際にはそんなことはなくってこの生贄というか御子回りの事象以外についてはかなり一般的な価値観に基づいているように見えるので、うーむ、これはどう味わったらいいんだろうなー、という感じになっちゃいました。

と言いつつも、だからといってこの聖剣伝説 VISIONS of MANAのストーリーが面白くないかというと決してそんなことはなくって、主軸となるストーリーも個々のイベントストーリーもちゃんと面白ポイントが押さえられてて、キャラクタの魅力も相まっていい感じなのですよ。

なので、世界観とストーリーを一つにまとめてしまうと評価しにくいので、ストーリーに関しては従来シリーズと比べても全然劣ってないしいいところもたくさんあるんだけど、世界観の根底部分の納得感がユーザーに、というか少なくとも自分には伝わらなかったので、そのせいでストーリーがイマイチ、という評価につながっちゃいそうだなぁ、と思っている次第です。

というのが合計150時間以上このゲームをプレイしてのストーリーや世界観に関する感想なのですが、これを怪文書にならないよう上手く500字にまとめてスクエニさんに送るまでが遠足です。

なお、1周目時点で致命的だったアプリケーションエラーによる強制終了は、アップデートパッチを当ててからはほぼ発生しなくなりました。
なので、当初ゲームとして致命的だと感じていた部分は無事解決、ということになります。

あとは遊び方の好き好きの問題なので良い悪いという感じじゃないのですが、個人的には周回プレイ時に引き継げる項目を細かに設定させてほしかったな、というのがあります。

エンディングを迎えたあとに、せっかくエレメントボード回りのシステムが一層面白くなるというのに、それを活かせる場所が少なすぎてもったいないじゃーん、というのを強く感じました。

強くてニューゲームにすれば最初からエレメントボードのカスタマイズを楽しむことはできるのですが、そもそも素のステータスが高すぎてそんなカスタマイズせずとも道中小指一本で進めてしまうのでカスタマイズの遊び甲斐がないし、せめて引継ぎ項目を選択可能にしてエレメントボード関連の精霊器やEPのみ引継ぎ、ステータスや装備は引き継がない、みたいな遊び方ができてもよかったのにー、と思います。
周回前提のゲームじゃないから仕方ないのかもしれないけど、どういう基本クラスがつよつよになるか、みたいなのをアレコレ試してギリギリ勝てたー、みたいな遊び方をする場所が無かったのがちょっと残念。

リメイク版の聖剣伝説3 ToMのアビリティシステムでちょっとかゆかったところに今作では手が届いたハズだったんですが、そのかき心地を試すところがなかったー、みたいな。

あれ、このままじゃ500字じゃ足りなさそうだぞ。

小学校や中学校の国語の授業で学ぶように、筆者の思ったことや登場人物の気持ちを考えてまとめる作業って大事なんですね。
自分の考えてることを適切な字数で上手く字面で伝える訓練ですよ。

ところで、もしかすると今どきのワカモノは「こういう時にAIを使えばいいじゃんねぇ」って感じるかもですが、それはそれであながち間違ってなさそうだぞ、というのが正直な感想。

計算機が生まれたころに「手で計算する力は大事だぞ、ちゃんと訓練しなさい」と言われても、「いやー、でも計算機使えばよくね?」って言ってる状況とあまり変わらなさそうですからね。
新たに生まれた便利ツールは上手く使いこなしていきまっしょい、派です。

まあ、それが法に触れる触れないみたいなところがあったりするとそこはちゃんと考えましょうね、という所は大事ですけどね。

ん? 何の話だ?

ゲームの話「その1」と書いたからには、その2もあるハズで、書き始めた時点ではそろそろドラゴンボールDAIMAのアニメも始まるし、最近のフュージョンワールドについてちょっと書こうかな、と思っていたのですが、思いのほかVoM話に花が咲いて一人花咲かじいさんになってたので、その話はまた別の日にでも。

そろそろSFLも始まっちゃうしね!
今日のところはこの辺で。

2024年10月5日(土)

環境バフ論

フミと申します。無職になって1548日。
年内はもう、自宅で冷房を使わないことを、ここに宣言するっ!

正直に言えば天気のいい日の日中はまだ暑い時もあるんですが、学校の衣替えと同じでどこかで明確に線を引いてみるのもいいよね、ということで、今年のエアコンはシーズンオフになりました。っていうか今そうしました。
ちなみに、冬場はそりゃ人並みに寒いのですが、寒ければ着込めばいいじゃない、という発想から、基本的にエアコンは使わず室内でもコートを着たりタオルケットや毛布にくるまって生活することが多いので、来年の夏までエアコンはしばし休眠することになりそうです。
今年もよくがんばってくれました。えらい。
おかげで夏場の電気代は跳ね上がってたぞー。

先月からちょこちょこと、朝の健康ウォーキングをしたりしなかったりしてます。

こういうのは毎日やるぞ、みたいな気迫じみた感じでは臨まず、今日は行ってみようかなー、とふんわりマインドの当日思いつきで決行してるのですが、気持ち的になんとなくいい感じです。
やっぱりお日様のパワーは偉大なのかもしれない。

今日もそんな感じで行ってみようかなという気分だったのでジャージを着て玄関のドアを開けたところ、曇天っていうか雨天でした。あうち。

でもせっかく着替えてお出かけする準備したんだしさー、なんかこのままそっ閉じするのもなんか違くなーい?
という内なる声に突き動かされて、そのまま傘を持ってお散歩することになりました。

なんか、ウォーキングっていうとちょっとしたオシャレさんなニュアンスが漂うけど、お散歩っていうとなんか台無しね。本質は変わらないのに。

こういうお散歩を屋外運動っていうとなんかちょっとおこがましい感じもしますが、この手のアクションは自分じゃ制御できない天候という要素に成否が左右されちゃうのがちょっとアレですね。

あるいは、もう一か月もすればめっきり冷え込んできて寒空の下のお散歩になるだろうから、その時今芽生えかけてるお散歩マインドは果たして保てるのか?
とちょっと不安になります。

逆に「歩けばそのうちあったかくなるから」という動機付けにはなりそうなので、雨天ほど問題じゃないのかもだけど、どうなんだろうなぁ。
おとなしくひきこもって踏み台昇降してる方が無難なのかなー。
でもなんとなくお日様パワーから得られる成分は代替が効かない気もするしなぁ。

昔の人が世界各地でアマテラスとかアポロンとかラーとかそんな感じで太陽神を崇め奉っていた気持ちもちょっと分かる。

流石マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコトの母君は偉大ですね。(言いたいだけ)

ところで、前にアキネーターでアメノオシホミミをイメージして魔人の問いに答えていったところ、結果としてアメノオシホミミ本人じゃなくて息子のニニギノミコトが提示されて、正解じゃないけどだいたい合ってるなー、と感心したことがあります。
日本神話にも精通してるアラビアっぽいランプの魔人さん、すごーい。

しかしながら、アメノオシホミミしかりニニギしかり神武天皇しかり、この手の問いに回答するにあたって、「実在の人物ですか?」と聞かれると返答にかなり窮するんですが、世間一般の感覚ではどうなんだろう。

歴史学者でもないので詳細は不明ながら、史実と神話の境目が難しいなぁ、という感覚を持ちつつも、それでもやっぱり神武天皇もその後の欠史八代も、なんならそのもう少し後ろの天皇も実在はしてなさそうじゃんねぇ、というのが個人的な温度感なんですが、その一方で宮内庁のホームページに歴代天皇が列挙されてるけど、じゃあ何か、実在してなかった人物を国の行政機関が堂々と記載してるのか、って言われるとあうあうあー、ってなっちゃいます。

でもまあ今から100年くらい前に国として「昔の天皇の扱いどーすっぺ?」的な問題の解決を図ったわけで、基本的にはそれに従うのがスジってことにはなるんでしょうけども、かといって今からずーっとむかしむかしの時代に、神武天皇は127歳まで生きましたー、って言われても素直にすごーいって言えないのだ。

ところで、一般庶民の感覚としては、自分の系譜の2代、3代くらい上は比較的容易に想像できるけど、その倍の6代昔とか10代昔となるともう全然想像がつかないですよね。

由緒ある家柄の旧家の一族さんだったりすると家系図みたいなのがちゃんとあってしっかり把握できるのかもですが、多分そういう人は結構一握りだろうと思ってますが、そう考えると、ある程度の代まで血筋を遡っていけるという観点で、天皇家はなかなか特殊な存在ではありますね。

他にも有名な武将とか当時の有力な権力者の子孫なんかも、結構な代まで血筋を遡れたりすると思うので、そういう意味ではなかなかロマンがありますね。

でもでも、こう考えてみると今この時点で生きている全ての人に対して当てはまることとして、特別な客観的物証などはないにしても血筋は必ず上の代から脈々と伝わってきているわけで、その源が何か特別高貴な人物ではないにせよ、それはそれでなんかちょっとスゴイというか、言葉が難しいのですがなんかスペシャル感があるように思えるのですが、でも全員が全員スペシャル、というとスペシャル感がなくなってしまい、冷静に考えるとむしろそりゃ当然だろー、ってなっちゃんですが、気持ち的にスペシャルというかロマンというか。うーん、表現が難しい。

そこそこ大きめの紙を用意して、試しに自分の身近なところから分かる範囲で家系図のようなものを描いてみると、親族関係がちゃんとしてる人は結構しっかり描けるだろうし、そうでない人はそれなりの範囲でふんわりした図が描けると思うのですが、なかなか上方向には遡っていけない気がするんですよね。

自分の祖父母はもう全員他界してますが、その上の代までは親に聞けば名前くらいは分かるかも、という感じで、少なくとも自分としてはその名前を把握してないですし、どちらかというと親族関係があまりちゃんとしてない寄りの身なのかも。

どこかの国では文化、風習として親の名前を自分のミドルネームにするようなところがあったと思いますが、そういうシステマティックな要素があると系譜も少しは辿りやすいのかも。
日本でも親の名前の字を子にも付けるという風習が少なからずありますが、別段システマティックというワケでもないからなぁ。

しかしながら、こうやって家系図的なものを意識すると、自分のところはこの先に伸びていかないことを直視できる一方、幸い? 自分の親族には次の世代の子どももいるので、完全に血が耐えるー、って感じじゃないのですが、そもそもそれを「うわー、やばーい」って思わないところが、種というか生物として考えた時に若干怪しげな気もしなくもないです。

一般的な生物の本能として、その種を絶やさないように、というかなんならもっとピンポイントで、自分自身の遺伝子を絶やさないように、という志向があるみたいなのです。

自分としては上述の通り、自分自身の遺伝子は続かないけど、でも似たような遺伝子を持つ親戚の子がいるしなぁ、なんて呑気に考えちゃうくらいだし、
「後世に残したい」 「後世に残したくない」
という2択のボタンだったら「残したい」を押すんですが、この選択肢に第三のボタン「どっちでもいい」が追加されたらそれを押しちゃいそうな気がします。

この後世に残す、という対象の範囲も個人的には気になるポイントで、

「自分自身の遺伝子」
「親族の遺伝子」
「自国民の遺伝子」
「人間という種の遺伝子」
「生物の遺伝子」

のうちのどのくらいのマクロ-ミクロ的なものなのかも人によって差がありそうです。

勿論、生物としてつよつよなのは「自分自身の遺伝子を後世に残したい」というマインドで、実際結構な人はそのマインドを持っているんじゃないかと思う一方で、自分自身の感覚としては「ワリとどーでもいいなぁ」という温度感で、多分似たような感覚を持ってる人を探すのはこのご時世そう難しくはなかろーもん、と思っているのですが、少なくとも生物としてはよわよわざぁこざぁこな感じではありますね。

「人は生まれるべきではないし、私たちは生まれるべきではなかった!」という感じの反出生主義みたいなマインドともまた違うのですが、でもこういった思想に至る人は自然淘汰されるから全体というか生物種としてはちゃんとつよつよなモードが維持されるのがよくできてます。

あるいは、人間が増えすぎたことを調整するために、人間という種を一つの生物としてとらえた時のアポトーシス的なものと捉える、という発想もなくもないかもですが、ちょっとそれはカッコつけすぎじゃないか、と思ったり思わなかったり。

なんかちょっと今日は哲学ちっく。

いやね、ホントは今日の雑記はですよ、マシュマロ、というか焼きマシュマロについて書こうと思ってメモ帳を開いたんですよ。

今日の雨のお散歩に際してお買い物のためにスーパーに立ち寄ったんですが、そこででかマシュマロが投げ売りされてるのを見かけてつい買っちゃったのですよ。

リア充御用達イベントであるバーベキューなんてものは見たことも聞いたこともあるんですが、やったことはないので焼きマシュマロを食べたことがないのですよ。

キャンプ系のマンガやアニメで見かけることはあるし、よつばと! で見た焼きマシュマロをサンドした食べ物は確かに美味しそうではあったけど、実際のところどうなの?

ってことで、お家に戻ってから朝ごはんの代わりに、買ってきたでかマシュマロをくしに刺して、炭火もバーベキューコンロもないからフツーにフライパンで焼いてみまして。

もともと甘い系のお菓子は好きだし、マシュマロも嫌いじゃないし、とちゃんと断った上で正直な感想を言わせていただきますと。。。

「これをすっごくおいしい食べ物だと評した人、怒らないから前に出てきなさい!」

って言いたい感じの味でした。

いや、マシュマロくんの名誉のために言っておくと、決してマズくはない、マズくはないのです。
でも「焼きマシュマロ、むまーい!」って言うほどの味には至ってないんですよ。

これさー、アレでしょ。絶対キャンプとかバーベキュー的な環境バフがかかった状態の評価でしょ。

おうちで一人でもそもそとフライパンで焼いて食べてみて同じ感想になるー?

なるワケないんだよー!!

炭火で焼くとおいしい、的なそんなチャチな味補正値じゃカバーしきれないような、絶対的なギャップがそこにあるハズ。こんなん環境バフだ、絶対環境バフ。

なんなら昨日煮込んだ肉じゃがの方が絶対おいしい。
こっちは出来立てはもちろんおいしいし、レンジであっためて食べるにしてもまだ焼きマシュマロよりはおいしい自信があります。

じゃあキャンプやバーベキューで肉じゃがを食べればどうなるか?

そりゃもう、みんなぶっ飛ぶくらいおいしいに決まってんだから。

でもキャンプで同じ材料使うなら絶対カレーの方がいいなぁ。
キャンプでカレーは強すぎるよ。さすがに肉じゃがでは勝てない。
おうちカレーだってつよつよTier1メニューなんだから、そこにキャンプ環境バフがかかったらそりゃもうね。

世間一般の食べ物ランクで言うとそんなに悪くない位置のハズの焼きマシュマロ、ちょっと期待しすぎちゃったのが悪かったのかもなぁ。

過度な期待をしてしまってごめんよ、マシュマロくん。

2024年10月1日(火)

もう残り3か月ですって

フミと申します。無職になって1544日。
もう十月。神様のいない十月。今年も残り3か月。

でも出雲では神在月ですよね。神様大集結。
この期間中は神社で神頼みしても当の神様が出払ってて聞き入れてもらえないかもしれないね。

するとやっぱり10月の間は出雲以外の地域の神社のお賽銭は少なめになったりするのかな。
逆に出雲地域の神社では通常の数倍数十倍の神様パワーにあやかれるから、いつもよりお賽銭がウハウハだったり。

神道に限らずこういう宗教系の理屈をどこまで本気で考えるかは人それぞれ差がありそうですが、神道の信仰心が高くないと思われる人でも文化の一部として神道系のしきたりに沿った振る舞いを日常的に行ってるとすれば、むしろそれこそが日常レベルまで神道が浸透してるって証なんですが、なんかこのフレーズを口頭で言うとただのつまらないダジャレですね、ってなりそうで上手く言葉にできないもどかしさですよ。

ところで。

ここ2か月ほどこれでもかーっていうくらいたこ焼きを焼いて食べてたワケですが、今日、ようやく初めてたこ焼きにタコを入れて食べてみました。
ああ日本語ってムズカシイ。

図書館のついでのディスカウントストアで鮮魚コーナーを見たらちょうどいいサイズのタコさんが売ってたので物は試しという感じで買ってきまして、さきほど真のたこ焼きを食べるに至りました。

普段はお餅とかソーセージとかで代用してるけど、今日の具はちゃんとタコなのですよ。

で、食べてみると、確かにたこ焼きといえばこういう感じではあるな、というのと、あとてっきり食感くらいしか寄与しないと思っていたのに、タコの周囲の生地へうっすらとタコの出汁? みたいな味がにょわーっと伝わってる感じもありまして。

もしかして、たこ焼きの本質ってこのタコのにょわーっとした味の部分だったりするのかな?

なんかスナック菓子のたこ焼き味ってだいたいあの生地とソースと青のりの味で表現されてるし、自分自身たこ焼きのメインフレーバーはその部分だと思ってたので、なんならタコの部分をないがしろにしてしまってたフシはありますが、もしかしてすごい思い違いをしていたのかもしれないぞ、と。

しかしですね、今日数年振りにタコを買って改めて思ったんですが、ゆでタコさん、これが結構お高いんですわー。

たこ焼き40個の具をソーセージで賄うとたった3、4本で済むのですが、それをタコに置き換えると値段が跳ね上がるのですわー。

中身がタコの場合とソーセージの場合とで味が違うし、上述のにょわーっとしたタコならではの味わい深さがたこ焼きの醍醐味だと言うのも分かる。
分かるんだけどしかし、費用対効果、若者風に言えばコスパの観点で、やっぱりソーセージでいいじゃんねぇ?
っていう気持ちが勝ってしまうのです。

ホントは牛乳を飲みたいけど、そこそこ安いから低脂肪乳。

ホントはカロリーメイトを食べたいけど、そこそこ安いからライトミールブロック。

この流れに従って、ホントはタコ入りたこ焼きを食べたいけど、そこそこ安いからソーセージ入りたこ焼き。

しかし、どのケースも後者のアイテムでも全然マズくないというか、むしろフツーにおいしい食べ物飲み物なのが精神衛生上そこまでしんどくない所以ではあります。

小さいころは、コンビニの冷蔵コーナーにあるちょっとお高いカップスイーツを見て、オトナになったらこういうのを気兼ねせず食べれるようになりたいなぁ、なんて思ったものですが、そういう「びんぼーしょー」的な感覚は大人になっても抜けなかったよ。
ごめんよ、あの日の自分。

まあ、だからといって国が悪い、政治が悪い、社会が悪い、ということもなく、むしろ今でもちゃんとお金さえ払えばカップスイーツを買える環境はあるので、基本的に自己責任の範疇。

だいたいなー。
仮に資産が100万円しかない人と1000万円ある人を比べた時に、後者が前者の10倍よい暮らしをしてるワケじゃないし、1000万円の人と1億円の人とを比べてもやっぱり10倍よい暮らしはしてないと思うのですよ。

じゃあコンビニのちょっとお高いカップスイーツを買う買わないの分岐点はどこなのかっていうと、それはもはや資産の多寡というよりは個々人のびんぼーしょー度合いに由来するもので、このびんぼーしょー度合いは概ね資産の多寡とそれなりに相関するんだけども、だからといって明確な基準というか閾値は無いよねー、という。

だもんで、仮に自分が宝くじで1億円が当たったとしてもこのびんぼーしょー感覚が備わってる限りは、そりゃ当選直後の1日くらいは喜んでカップスイーツを買っちゃうかもだけど、それが日常的な習慣になるとはとても思えないなー、という感想。

多分、お財布事情的に「あ、このくらいの金額なら払っても問題なさそうだな」という金額の目安がふんわり脳内にみんなあって、それが人によって1万円だったり10万円だったり100万円だったり1000万円だったりするんじゃなかろうか。

例えば一般庶民感覚では高いと思うような500万円の高級時計も、「ん~、まあ500万円くらいなら別に払っちゃってもいいかなー」という感じの人が買うのはとても分かる気がします。

時計の本来の目的であるところの時刻を確認する、というだけであれば何も500万円払って実現する必要はないんですが、でもまあ逆にお金のかけどころとしては不思議はあまりないというか、なんというか。

個人的には借金してまで買うのはなんだかなぁ、と思ってしまうんですが、でもまあそこまで含めて価値観ってヤツですからね。
愚行権の行使もまた多様性の一側面。

一昔前までだったら、ソシャゲのガチャの課金とか配信者に対する投げ銭みたいなのはまさに愚行と捉えられても仕方なかっただろうし、今でもそう考えてる人も一定数いるとは思うけど、高々数千円から数万円程度で、普段充足できないタイプの満足感を味わえるんだとすれば、まあ金額に見合ったものなのかも?

そこまで共感はできないけどまあ理解はできるなぁ、という感じですが、でもこの辺の感覚って時代とともに変わっていくものだし、だからこそ仮に自分の感覚と離れてるからといって安易に否定すべきものでもないよなー、というね。

歳をとるにつれて自分の感覚と世間の感覚との乖離が大きくなっていくだろうし、更には自分の感覚の是正も困難になりがちだと思うので、当たり前と言えば当たり前なんですがそういう感覚の柔軟性は失いたくないなー。

って、タコとかカップスイーツの話をしてた気がするんだけど、いつの間にか話があらぬところに着地してしまったぞい。
そろそろ締めよう。

あ、今日は久しぶりのSFLだー。
DIVISION FだとFAVが他チームとかなり離されちゃってるけど、後半巻き返してプレイオフ進出とかしたらそれはそれで熱い展開ですしおすし。
去年よりもプレイヤー個人個人を見る機会も増えてきたので、チームによるリーグ戦の結果を追うという楽しみ方だけじゃなく、よりミクロというか、選手個人にフォーカスして結果を追いたくなるし、だからこそまだ勝ててないプレイヤーもどこかで勝利してほしいと思う一方、シビアな勝負の世界なので必ずしもそれが叶うとも限らないのが厳しいところ。

まだ半分残ってますが、願わくば選手のみなさんが心身ともに健康でリーグ期間を終えられますよう。